「The Light」プロデューサーズライナーノーツ 序章

IMG_0776

2013年11月13日に発売された「The Light」が発売されて
1ヶ月以上が経ちました。

書こう書こう!と思って書けなかったライナーノーツ、
やっと書きたい事がまとまりましたので
遅れてこのタイミングなんですが、ここに綴ります。

制作の裏側、様々なストーリーの一部をかいつまんで、
皆さんに少しでも僕たちの思いが伝われば幸いです。

僕はもうマネジャー業はやっていませんので、
今回はプロデューサーズライナーノーツになりました。
書き始めたらとんでもない量になって来たので、何回に日付をわけて書いています。

まずは時計の針を、2012年まで戻しましょう。

 

自分たちの無力さへのトラウマ

IMG_5294

以前、マネージャーズライナーノーツというものを書きました。
2012の澤田かおりのインデペンデント・デビューアルバム「PRISM」
心を込めて澤田かおりと一緒に創ったひとつのカタチです。

僕にとってもライフサウンドにとっても
初のマネージメントアーティストであり、
多くを共に分かち合い、共に学び
今でもかけがえのないファミリーであり大切な存在です。

そしてレーベルを移籍してからもう1年以上も経ちます。
個人的には留学と呼んでいます。

澤田かおりのメジャーレーベル移籍
僕たちにとっても彼女にとって最高のニュースであり、
最良の選択でした。

しかし本音を言えば、僕たちの力でなんとか澤田かおりを もっともっと大きなステージで活躍させたかった。

当時メジャーレーベルや今の事務所さんからオファーをもらった時は
確実に僕たちより彼女を活躍させてくださる
可能性があると判断せざるをえませんでした。

「今の自分たちの力では、あれだけやっても
アーティスト本人の持つの実力に対して見合った実績を僕たちでは残せないのか」

と劣等感を感じ、澤田かおりへは
申し訳ないと思う感情にに打ち拉がれました。

いつもSWEET SOULを応援してくださる、
澤田かおりのチームの一員である香川さんは

「ライフサウンドはこうやって一人の新人をインデペンダントレーベルからメジャーレーベルへ100発100中で橋渡しをする事が出来た。
これはかおりちゃんの実力はもちろんだけどレーベルとしても胸を張って仕事をするといいよ。」

と言ってくださったのも覚えていますが
僕たちはとにかく、その当時は自分たちの選択には間違いはないものの
戸惑いを隠せなかったのが本音だと思います。

 

Nao Yoshiokaのデビューという話

IMG_5265

そんな時に、Nao Yoshiokaのデビューの話が持ち上がりました。

Nao Yoshiokaとの出会いのきっかけは、僕の盟友であるエンジニアのニラジが2012年の年始に
興奮して電話をしてきたことから始まりました。

「ナオキ、すごい子見っけた」

こんな風に彼が電話をしてくるのは初めてでした。
それから良いタイミングで、レーベル初のオリジナルソングへと繋がります。

こうしてMake the Changeはレーベルの初オリジナルとして
彼女に歌と共に世界に発信をされたのです。
そのレコーディングを通して、彼女の音楽活動に関わり始めました。
その頃はまだマネージメントまですることは想像はしていませんでした。

順当に考えれば、他の誰よりもSWEET SOUL RECORDSが
一緒にアルバム制作をして当然のアーティスト。

しかし僕は2つの事で彼女のデビューに携われるか迷いました。

 

デビューに携わる事に歯止めをかけた2つの迷い
IMG_5362

まずひとつは前述にも記載しましたが、
力のない僕たちがソロのアーティストを手掛ける事で
本当にその人にとって良いのかどうか。

そもそもレーベル業務を越えて、マネージメントを僕たちがやる事に対して
やはり力不足な部分を感じていたことは否定出来ません。
レーベルでの営業や特定の領域での認知度の向上には
実績を創る事ができましたが、
一人のアーティストを業界に売り込むことは
コネクションや政治力がものを言うされるフィールドであり、
僕たちのように限られたジャンルで認知度もまだ高いとは言えないレーベルが
始めるには時期尚早と感じる部分もあったのです。

そしてもう一つは、僕自身が抱えていた問題です。
次の制作物は誰がなんと言おうと、
自分の意見を全て反映させて制作したかった。

澤田かおりのソロ制作をのぞく、
SWEET SOUL RECORDSからリリースした
新録アルバムの制作物に関して、
レーベルオーナーとして
自分自身が本当に創りたいものを突き通せなかったことがあった。

こんなことを書いたら、みなさんに失礼且つ衝撃かもしれませんが、
僕はどこかで、みんなの意見を聞き入れすぎて
自分の本当に信じるものを突き通す自信がなかったのかもしれません。

それはある意味、CDにクレジットされている通り自分がプロデューサーではなく、
お金を出すレーベルオーナーまたはエグゼクティブプロデューサーという立場に
自ら徹し、割り切らなければいけないと考えていた部分でもあります。

2008年IT業界出身の自分が、訳もわからず突然音楽業界に飛び込みましたので
自分の経験のなさもあったとおもいます。
またこんなジャンルをやっていますので、
周りの方もプロ中のプロですからそんな若造が言葉を発する空気もなかったように感じます。
暗黙の了解のようなカタチでレーベルは音楽を売る人、ミュージシャンは音楽を創る人。
そんな線引きがどこかで自然に敷かれていたようなきがします。

制作物は結果的に本当に素晴らしいものになっているし
僕自身ももちろん気に入ってるからリリースをしています。
そしてひとつひとつ心を込めてみなさんに自信を持ってご紹介をしました。

でもどこかで本当は俺だったらここはこうしたかった
自分だったらこうするのになーというところを
予算や、人との関係性や様々な要因で自分の意見を殺す瞬間がありました。

自分が未熟だった事もありますが、限られた時間と予算の中では、
自分の意見を出す事で、全てをひっくり返すことにもつながり兼ねない。

そもそも山内直己が好きな事をやるための音楽ではなく、
それぞれアルバムにはコンセプトがあり、
日本の素晴らしい若手アーティスト達を紹介し
活躍の場所を創りシーン自体を底上げしていこうという目的でした。
せっかくアーティスト達のチャンスを自分の意見で台無しにしかねないという
観念が優先されました。

その度に僕の隠れ家であるリトルソウルカフェの宮さんに

「ナオキ君、それなりにいいのできたけどこれナオキくんがやりたいことだっけ?」

と言われる事が続きました。
アルバムができてリトルソウルカフェに持っていくたび、
自分がつつかれたくない部分をしっかりとついてくる宮さんの鋭い指摘には
毎回耳が痛かったです。

このようなことが続いた経緯もあり
自分が考えるベストのオリジナルソングに挑戦したみたいと思い
生まれたのがMake the Changeでした。
これはメッセージ、リリック、メロディ全てをとっても
申し分無く自分が妥協する事なく生み出す事が出来た
レーベルの看板曲になったのです。

そして次で10枚目となる新録アルバムの制作は誰がなんと言おうと
自分が制作の全ての権限を握って納得いくまでやりきりたかったのです。

自分が得意な事であり、好きな領域で音楽愛と培った経験を基にとことん拘って制作をしたかった。

こんな2つの理由から、すぐに

「Nao Yoshiokaさん、とりあえずアルバムつくりましょう」

とはいうことができませんでした。

アーティストのやりたい事は最優先である

8431642557_16c8b5132c_c

Nao Yoshiokaが一番最初にデビューアルバムでやりたかった事は
60年代中心のブルースのカヴァーアルバムでした。
その意思は明確であり、これは僕がやりたいことではなかった。

またNao Yoshiokaという人間は非常に純粋且つ柔軟性があり、
良い意味でも悪い意味でもとてもコントロールがしやすいので
これは逆に良くないなと思ったのです。

「ブルースのカヴァーはうちのレーベルカラーじゃないから
できないし、せっかくやるんだったらもっと、おもしろい事やろうよ。」

とか本当は言えたかもしれません。そして当時の彼女だったら
もしかしたら考えを変えたかもしれない。

僕があえてそれをしなかった理由は、
もちろんわかると思いますが、
SWEET SOUL RECORDSは
アーティスト至上主義であり、
アーティストがやりたいことで成功する事自体が
レーベルの目標なのです。

実はこれをやりたいのに、事務所やレーベルにこれやらされてます

みたいなことをすることは僕たちSWEET SOUL RECORDSでは

絶対にやりたくない。

こんなことをやるくらいだったら僕たちの存在意義は無い。

この二つの悩みを解消するには少々時間を要しました。

 

2つの悩みを解決するのは

IMG_5260

僕たちがそのアーティストに本当にふさわしいのかという
1つ目の悩みを解消するきっかけになったのは
Nao Yoshiokaが明確に、この言葉を言っていた事に起因します。

「私は世界に挑戦したい。市場に合わせて私のやりたいことを曲げてもしやりたいことをできないなら、そもそも日本にいなくたっていい。」

この言葉を初めての彼女のライブに行った時に聞いていましたので、
今、世界に挑戦するなら僕たちしかいないだろ!とも考えられる瞬間はありました。
だからこをMake the Changeという大切な曲を彼女に託したのです。

Make the Changeで既にワールドワイドの制作を実現した僕らの計画では
今年リリースしているはずのSOUL OVER THE RACE VOL.3の楽曲制作を
ほぼ全ての曲を海外で制作するはずでしたし、
まさに2013年、世界にアピールすることを本格的に始めようとしていたのです。

それでもまだ迷っていました。

一人のアーティストと契約をし、アルバムを創る事。
それはアーティストの人生を左右する事でもあり、
僕らのレーベルの存続にも大きくインパクトしてくること。

洋楽のレコード会社である僕たちがアーティストマネージメントをする事は
その当時、全くもって不利だと考えることがまともでした。
いわゆる業界と言われる領域に、
知識もない、興味もない、人脈もない、お金もない、人的リソースもない僕らが
今更ビジネスとして新規参入をする事がプラスとは考えにくかったのです。

しかしライフサウンドの理念に立ち戻りレコード会社ではなくアーティストを活躍させる
プラットフォームを作る会社であると考えたら、
アーティストマネージメントをすることは必然ではないだろうか。

こんなことが四六時中頭を巡りました。

煮詰まっていた自分に今回ディレクターを勤めてくれた渋谷さんから一言

「山内さんがやらなくて、誰がやるんですか?
今世界に挑戦出来るレーベルなんてSWEET SOUL以外あるんですか?
僕は山内さんがやることは必然だと思うけど。」

と肩を押してもらった事も覚えています。

そして2つ目の悩みは考え抜いた事でもあります。

自分がなぜ音楽レーベルを始めたのかまで立ち戻りました。

わざわざ狭い領域で拘ってアルバム制作をするリスクをとって
自分が信じたものを突き通せないのはもう終わりにしたい。
ただ、アーティスト本人がやりたくないことは絶対にやらせたくない。
本来僕たちのような立場の人はアーティストがやりたい事をさせて
その先まで考えた上で提案をする立場でなければいけない。

こんな想いが交差しました。

ここでまた渋谷さんから

「澤田かおりちゃんはレーベルカラーと全く違うジャンルなのに
山内さんが一緒にアルバムをつくった理由はなんだったんですか?」

の一言がありました。

僕は澤田かおりの音楽を聴いたとき、
ジャンルは関係なく、本当に素晴らしいと感じました。
彼女の創った曲、アルバムに何一つ疑問がありませんでした。
彼女の人間性もわかりましたし、力になれるのであれば
なんでもやりたいと思いました。

たとえ僕たちが他のジャンルを扱っていても、
音楽に宿るソウル、彼女の人間性は最高で
心に響く偽りの無い彼女自身の
唯一無比の”ソウルミュージック”を奏でていたのです。

そして結論は

僕たちは音楽レーベルである前に、アーティストを応援し活躍させるために存在する。ぼくはNao Yoshiokaの奏でる音楽ではなく彼女自身を応援しよう

と決心したのです。

だからどんな事があっても彼女がやりたいことをさせる。
それをベースとして、それ以上の提案が出来そうな時だけ、自分の意見を通そうと。

しかしそれは結果的に、Nao Yoshiokaの御陰で
信頼関係を築き上げながら共に成長する結果にも繋がったのです。

僕自身はプロデューサーのデビューを迎える最良の
結果にもなりました。

次回に続く

関連記事はこちら: