時刻はツアーファイナル当日である24:30。
どうしてもこのブログを更新したくて、悪あがきをしています。
やっとここまでたどり着きました。今日の投稿を入れて6話が完結します。
THE JOURNEY OF RISING 〜アルバムの7つの隠れたストーリー〜
「RISING」プロデューサーズライナーノーツVOL.1 〜僕にとってのアルバム制作の真意〜
「RISING」プロデューサーズライナーノーツVOL.2 〜THE LIGHTから INTO THE LIGHTへ〜
「RISING」プロデューサーズライナーノーツVOL.3 〜アメリカでの悪夢〜
「RISING」プロデューサーズライナーノーツVOL.4 〜アメリカでの悪夢2〜
「RISING」プロデューサーズライナーノーツVOL.5 〜チャンスに導かれるという発想
オランダ帰国後は、シャーマとフレッシュカッツを迎えた
Make the Change Project 2014 Japan Tourが控えていました。
海外からアーティストを自社でツアー招聘する初の試みです。
この時点でアルバム制作は本当ならば、アメリカとオランダの
レコーディングを終えて、ツアー後にじっくりと
松田さんと一緒に創る曲とミックスに挑むはずが、
制作予定曲16曲、収録予定13曲に対して進捗は
ブライアンの 4/4曲
ゴードンの 3/3曲
クエンティン 0/1曲
オランダ 2/6曲
東京 0/1曲
合計ベーシックな録音ができていた曲が9曲。
この時点の目標は13曲。
作業量に関しては楽器から(つまりゼロから)のレコーディングが4曲、
ボーカルをとる曲が6曲
コーラスを入れる曲が10曲、ホーン・セクションやパーカッション、
それに加え、エディット、ミックス、マスタリング
気が遠くなるくらいの作業が待ち受けていました。
そのため頭を抱えながら挑むライブツアーになりました。
NAO YOSHIOKA & SHIRMA ROUSE東京公演まであと4日♫皆さん!名古屋公演も終わり、ツアーも残すところ東京公演と北海道公演を残すのみとなりました!(≧∇≦)私にとってはじてめての日本ツアー、本当にたくさんの方に来ていただくことが出来て感謝してもしきれません(;_;)皆さんありがとうございます!そして、東京、北海道の皆さん!最高に盛り上がりましょうね!!(≧∇≦)️今日は大阪公演のムービーを公開したいと思います(≧∇≦)舞台裏や、LIVEでの様子!皆さんに伝わったらうれしいです♫(*^^*)東京公演まで、いよいよカウントダウンです♫——————————Nao Yoshioka & Shirma RouseMake the Change Project World Tour 2014——————————-東京公演 11月24日http://ny20141124.peatix.com/北海道公演 11月26日http://ny20141126.peatix.com/
Posted by Nao Yoshioka on 2014年11月21日
オランダから最高のアーティストたちを迎え
御存知の通り、僕たちは大阪、名古屋、東京、札幌を経て
素晴らしい動員実績と、ショーを創ることができました。
このメンバーとの制作が続くため、
ツアー中に少しは話せるかなと思っていたのですが、
進めるか相談する時間もあまりなく、
ツアーはあっと言う間に時間が過ぎてしまいました。
帰国後、やはりシャーマは多忙を極めます。
そんななか彼女の周りで悲しい出来事が起きてしまいました。
それに覆いかぶさるように今度は彼女のアルバムツアーが始まってしまいます。
ツアーの大変さや時差などで
なかなかシャーマと連絡が取れず、
そんな日々が続き、遂に連絡が途絶えてしまいました。
ここには様々な感情が行き交いました。
もうこの体制では続けられない。
アドバイスをもらいながら進めたかった曲、
作曲中で止まってしまっている曲
必要だった楽器をすべてオーバーダビングしていない曲
彼女に任せていた曲に関しては
謎に包まれたまま、僕が全て引き継ぐことになりました。
後でわかったのですが、彼女はその時
オランダであえて離れていた期間の制作が
すべて自分に戻ってきたのです。
録り終えてない曲に加え、
録ってある曲もファイルやレコーディングの意図が
わからないような状態で自分に全ての重圧がかかってきました。
とにかく動かなければ。不安は行動でしか解決されない。
僕は気持ちを切り替え自分の使命を受け入れます。
苦渋の決断もありました。
ほかに予定していた仕事をキャンセルし、
アルバムを何としてでも完成させなければいけない。
リリースが刻々と迫っていました。
オランダに一人で飛ぶか、Naoを連れていくか
日本のメンバーを集めてレコーディングをするか
それとも・・・・
悩んでいたところに
僕の状況を知っていたブディが連絡をくれます。
彼は僕に素晴らしい提案をくれました。
スタジオ録音をほぼリアルタイムで高音質で聞ける
ストリーミングを用意してくれました。
一気にミュージシャンに声をかけ、
協力を求めます。フレッシュカッツ達も
状況を理解してくれて、信じられないほどの
協力体制をつくってくれました。
オランダとの時差は8時間。日本が先行しています。
そのため僕は日本での仕事が終わった20時頃、
あちらは正午のタイミングで、レコーディングが始まりました。
レコーディングが終わるのはだいたい朝の4時頃。
意識もうろうとしながらもなんとか
指示をしつつ、音を聞き、その状況をなんとか打破しました。
楽器類はすべて録り終えた。
11月のツアーが終わり年末12月に差し掛かる時点で、
予備費さえ底をつき、制作費用はもうほぼなく、
時間もなく、余裕もなく。ピンチでした。
ここでまたもや人に救われます。
僕を救ってくれたのはニラジでした。
できたばかりの人気スタジオのスケジュールをなんとか
調整して快く使わせてくれました。
彼は僕のレーベル創世記からの戦友であり、
僕が関わる、制作物に何らかのカタチですべて関わってくれています。
ここで改めて彼に感謝の意を表したいと思います。
スタジオに入ってまずしたことは、
レコーディングを終えた素材の整理や
それぞれの一番いいテイクを選ぶ時間、
これも本来ならオランダですべて終える予定だったものが
多数あり、想定していた時間の2倍以上かかると予測できていました。
スタジオワークは、なかなかしびれる仕事です。
一つの小さい部屋にずっとこもりきり、なんどもなんども
音を聞き直して、クオリティを高める作業。
こんなわけで僕の年末の日々はすべてレコーディングスタジオで迎えることになりました。
気力と体力の限界に挑戦した日々、
付き合ってくれたエンジニアさんには本当に感謝です。
緊急事態を察してくれたYAMAHAさんは僕達を気遣い、
いいものをつくってほしいからという理由と
Naoをトッププライオリティで一番いい時期に出したいのでと、
予定していたリリースをずらしてくれました。
そんなお言葉に甘えて
何度も何度もやり直し、
繰り返しいいモノを作ることを目指しました。
すべて録り終えたのは12月29日。
リリース予定は迫っていました。
ミックス作業もこだわりにこだわりました。
これはデータでのやり取りで、
締め切りギリギリまで詰めました。
特に大変だったのはニューヨークのサウンド。
理由は前述したとおりです。
最も信頼しているブディとブライアン・オーウェンズのミキサー、
トニーにもおねがいしました。The Lightと同じ構図です。
トニーは予想もつかない面白いアメリカ人らしいダイナミックなサウンド。
ブディはヴィンテージ感溢れる心地よいサウンド。
このミックスチェックの作業は、SWEET SOUL RECORDSのスタッフ
西井さんが大いに才能を発揮し、彼なしではくぐり抜けられなかったというほど
サポートをしてくれました。 今度彼を見かけたら話しかけてください。
SWEET SOUL RECORDSの音の番人です。
※本人無許可画像です。
ミックスが終わり、マスタリングが終わったのは
本当に入稿の直前でした。
最後の最後までいろいろ波乱がありましたが
なんとか間に合った。
窮地に多くの人がぼくに手を差し伸べてくれました。
人生においてこんなにストーリーに溢れる経験は
もしかしたら今までないかもしれません。
話し始めたら終わらないほどの
エピソードがあります。
こうして多くの方に支えられRisingは
世に出る準備ができたのです。
今回のアルバム制作は、自分の度胸試しというか、
自分自身の存在を再定義させられたような感覚がありました。
自分の音楽への関わりを
根本的に変えられる取り組みとなりました。
あえて入らなかった音楽の現場への、
創作作業への入り口でもありました。
自分が本当に音楽の根幹まで関わることへ
今までどこか恐れていました。
それが今回は必然的に導かれ
実行することになりました。
最初はNaoの成長をと考えていたのですが
実際やってみて自分が成長させられていたことに気付きました。
きっとこれがプロデューサーの醍醐味なのかもしれません。
自分が持っている力をすべて出し切ること、
自分に可能性がないことに恐れて出さないことは
本当にはいいモノを作れない。
オランダで受けたレッスンでした。
持ちえる感性をすべてつかって、それを活かして、
自分のできることを最大限にやりきる。
Naoというアーティストのために、
自分ができることは全部やろうと腹をくくることで
僕は成長ができたのです。
さて、最終章に行く前に、簡単に曲紹介をしましょう。
Awake
Naoに依頼されて僕がプロデュースというカタチではいって
松田さんと一緒につくったAwakeという曲は、
実はまさにぼくの実体験を曲の方向性に入れたものです。
Make the Changeと同じメンバーで、制作をしました。
この曲こそ、オランダと日本での経験を基に
コンセプトをつくりメッセージを込めた一曲です。
自分の才能を最大限に使うこと。
恐れず踏み込んでいくこと。
タイトルの由来はAwakening、「覚醒」です。
Just Go
実は1曲、リード曲作りがかなり難航し、
近しい曲を集めたり、ライティングセッションをしてみたりしたんですが、
なかなか結果として表れず、意図した曲作りをすることができませんでした。
そんな時にサルが書いてきてくれた曲が絶妙によくて、
別の使い方としてアルバムに採用しました。
言い方は良くないですが、御託は並べずに
とにかくやるから見ててよ。
そんな曲です。
Forget about It
Certifiableに引き続き少しロックテイストな曲をアルバムに入れては?
というアイデアをもらい、ストレートにロックをやるのは
全く考えてなかったので、自分の大好きなGo Goで
ライブの最後に15分くらいずーっとみんなが踊って
Grooveできる曲をつくってしまえということで
自分がスタジオに入り、細かいところまで指示をして
ドラマーのサルと制作した曲です。
いつも過去のことに囚われているNaoに
そんなこと全部忘れちまえ!といつも声をかけるので
そこからのエビソードを得ています。
Never Had Love Like This
クエンティン・ムーア作詞作曲。
なおがかねてから歌いたかった胸キュンラブソングを1曲。
この曲は本当はセントルイスで録ったにもかかわらず
作曲者のクエンティン本人のタイミングが合わず、
ディレクションできなかったこともあり、
クエンティンが自分のスタジオで録り直して
送ってきてくれて、やっとしっくりきた曲。
ホーン・セクションが最高です。
次回最終話。Rising Japan Tour 2015ツアーファイナル当日の更新となりますが、お楽しみに。
過去の記事はこちら
THE JOURNEY OF RISING 〜アルバムの7つの隠れたストーリー〜
「RISING」プロデューサーズライナーノーツVOL.1 〜僕にとってのアルバム制作の真意〜
「RISING」プロデューサーズライナーノーツVOL.2 〜THE LIGHTから INTO THE LIGHTへ〜
「RISING」プロデューサーズライナーノーツVOL.3 〜アメリカでの悪夢〜
「RISING」プロデューサーズライナーノーツVOL.4 〜アメリカでの悪夢2〜
「RISING」プロデューサーズライナーノーツVOL.5 〜チャンスに導かれるという発想
2014年10月
ロッテルダム。
世界の都市で、僕が見てきた中でも
トップクラスの文化レベルと多様性に溢れ、
個人的には世界の三本指に入る感性を刺激してくれる都市です。
もう1年以上前のことですが、思い出しながら書いています。
この都市では、7曲のレコーディングを予定してました。
もちろん、オランダのソウルクイーン、
シャーマ・ラーズとのコラボレーション。
ライティングセッションとレコーディングに幾つかのライブ。
このプロジェクトはSoul Music Fundingによって皆様に支えていただいた、
Make the Change Project Tour 2014というプロジェクトの一環で
世界のシーンをつなげ、ソウルミュージックで国境や人種の壁を越えていく
ことを目的に行われているツアーでもありました。
その重要なカギを握るのが、シャーマなのです。
事前にコンタクトを取り、構想は伝えていたものの、
ある程度自由度を持って始めたかったこともあり、
すべてはかっちりと決めることはあえてしませんでした。
もともと彼女のアーティスト性は
インプロヴィゼーションが中心で、最高に自由度が高く
その場で起きるミラクルみたいなものが
半端ないアーティストなので特に心配はしていませんでした。
でも一つ予想外なことがありました。
The Lightをレコーディングした時から、
彼女を取り巻く環境が完全に変わっていたことです。
オランダ版VOICE出演以降、
圧倒的に認知度が上がり、オランダではスーパースター。
テレビ番組に雑誌の取材、ラジオにひっきりなしで、
毎日ぎっしりと予定が詰まっていました。
そんなこんなで、ライティングセッションは
彼女とだけではなく、彼女が推薦するライターたちとも
行われることになりました。
その発想は一長一短で、僕はとにかく
彼女の作る曲を期待していたのですが、
超多忙のためにも必須となりました。
ブライアンと同様、僕とNaoとシャーマはもう家族のような存在。
ありとあらゆることを話します。
「Naoki、あなたを見ているとそのうち倒れるのではないかって本当に心配。
もっとNaoを信じて、色々任せてみたら?
Naoは全て不安になるとあなたを頼りすぎる性質があって
彼女の成長のためにもあなたは現場を少し離れるべきよ。」
僕はアメリカに1ヶ月滞在した後、
MCPの皆さまに支えていただきながら行った今回のツアーでさえ、
予算的に日本から渡航できるのはNaoを含めたった2人、
現地ではマネージャーも勤めなければいけないため、
もちろん彼女の移動、交渉その他手配などすべてケアをして動きました。
積もりに積もった業務と、Naoの相手とレコーディング、そしてライブの調整などで
本当に大切な音楽に割ける時間が必然的に少なくなってきていました。
シャーマなら任せられるかもしれない。
彼女に比べたら自分はプロデューサーなんて名乗れるほどキャリアはないし、
単純に彼女にリスペクトがありました。
任せてうまくいくんだったら、自分にも、Naoにとっても一番いいのではないか?
Naoの過去のスランプを救ってくれたシャーマなら、
Naoの成長のためにも、自分は一歩引いてまかせてみたほうがいいのかもしれない。
ゴードンに続き、自分が離れることを示唆されたため、
思い切ってその案を選択します。
いままで全て見守っていたところから、
ライティングセッションなどは自分は一歩離れて
曲ができた段階でのチェックや
レコーディングなど本当に大事なジャッジだけをしていくとNaoに伝えました。
彼女は決断に納得いっていない感じで、
「私は山内さんにはプロデューサーとして、全て監督して欲しいです(>_<)」
と言われました。しかし僕は実行に移します。
いままで密に二人三脚でやってきたこともあり、
ゴードンの一件もあり、不安だったのだと思います。
僕は彼女を説き伏せて、ライティングセッションが行われていた
シャーマの家を後にします。
僕自身不安もありました。今まですべてに関わり、
細かくチェックをし、一緒に納得をしてきたからです。
ライオンが子供を崖から突き落とすような感覚というのでしょうか。
思い切った判断でした。
この手を離した少しの期間、Naoが不安な気持ちはありながらも、
曲を作ることにおいて才能を発揮し始めます。
最初の曲はJoy。シャーマと仲がいいスタンリーとライティングセッションが行われました。
Naoはなんとか意図を伝え、自分の書きたい曲の方向性を見出すことができました。
シャーマの勧めで、彼女の最新作で曲提供をした、フランス人のフィリップ
通称PomPomのトラックをベースに、NaoがTurningという曲を
メロディそして、歌詞をささっと書き終わります。
しかし。。。
順調のように思えた走りだしとは裏腹にその後コラボレーション部分は
困難を極めました。シャーマがセッティングしてくれたライティングセッションの相手とも
音楽性のズレが若干あり、いい曲ができません。
シャーマの多忙もあり、すべての曲を終えてレコーディングに挑む予定が、
いつのまにか7曲中2曲しか作り終わらない状態になっていました。
ただしTurningとJoyの青地図は、自分が提示した方向性に非常に近しいもので、
予定していたものができあがってきていました。
そんなこんなでとりあえず2曲ある状態でレコーディングを迎えます。
「Naoki、スタジオ内のことは任せて。
あなたは自分の仕事をしなさい。」
実はミュージシャンのチョイスもエンジニアも、
スタジオも諸事情によって
僕が当初想定していたメンバーではないメンバーで
録音をすることになっていました。
違和感を覚えつつ、ここも彼女の指示に従います。
スタジオに常設してあるキッチンで仕事を始めます。
レコーディングが終わり部屋に呼ばれます
そして出来上がったものを聞いて、こう感じました。
自分が作りたかったものではない。
すでに録音はされ、ミュージシャン達は達成感にあふれ
楽器をかたずけ終わっていました。
オランダシーンのトップミュージシャン達が集まっていたこともあり
たしかに出来上がりは、楽曲のクオリティとしては申し分ないのですが、
自分が想定していたスタイルや感じたい音楽とは明確に違ったのです。
しかしもう後の祭り。
雰囲気的にも時間的にもにこにこしながら
ダンキュウェル(オランダ語でありがとう)
というしかなかった。
とてつもない後悔と罪悪感。
もしここで、これは自分が作りたかったものと違うんだ
と言いだしたら、全てが終わってしまうのではないかという
恐怖を感じたことも事実です。
自分を押し殺し、自分はフィールしないけれど、
これは間違いなくグッドミュージックなのだ
自分に言い聞かせました。
この後もレコーディングが控えていました。
やはり多忙のシャーマとはライティングセッションは実現せず、
ライブにおわれつつ、時間が過ぎます。
カヴァーはいいとして、曲がほぼ完成してない状態で、
残りのレコーディングを行うことになりました。
まずいな。このままでは、全く曲が録り終わらない。。
シャーマからは僕は大丈夫だから見守ってほしいというアドバイスをされますが
Naoにはこう言われます。
「このままだと本当にいいモノができません。
私は山内さんの感覚を信じています。一緒に作品を作らなければ、意味がないんです。
山内さんが現場にいないともうだめになると思います。」
自分の存在をプロデューサーとは認めてもらえず
完全に排除されたゴードンの一件から、
自分の役割や存在価値ががいったいなんなのか
よくわからなくなっていた僕にとって
またもや試練が訪れるのです。
僕は板挟みにされて、判断に非常悩みました。
そんなグシャグシャの状態の時に
僕が最も信頼しこのロッテルダムの旅路で
一緒にレコーディングをするはずだった、
エンジニアのブディからディナーに誘われます。
彼と出会ったのは、Naoと初めてオランダに訪れた時で、
The Lightに収録される、Feeling GoodやI’m Not Perfectなどを
レコーディングしてくれた名エンジニアです。
彼はミュージシャンでもあり過去には日本でも公演した素晴らしいキャリアがあり、
エンジニアリングにおいてはこの業界では名をはせる、ディアンジェロのエンジニア
ラッセル・エルバードの弟子でした。
僕にとっては大切な友人でありメンター的な存在でもありました。
最初は彼の近くのイタリアンレストランでNaoと
ブディの奥さんでもありSWEET SOUL RECORDSから
リリースをしているiETと四人で心地よい時間を過ごしました。
その後、Budyの家兼レコーディングスタジオに招かれました。
レコーディングしたラフの音源を聴かせます。彼の一言目は、
Naoki、これが君が作りたかったものか?
案の定見抜かれていました。
彼は以前から僕の作りたい方向性を十分に理解し、
僕の目指していることや好きな音を知っていました。
彼に悩んでいることを僕は思い切って打ち明けました。
僕は何かが正しくないし、感じないことはわかるんだけど、
テクニカルにそれが何かはわからないんだ。
自分は音楽が好きで、自分が作りたいものにビジョンがあるけど
プロのミュージシャンのように楽器は弾けないし
いわゆる音楽プロデューサーみたいに鍵盤ひいたり
譜面さくさくかけるわけじゃない。
意思やリクエストは事前に一生懸命伝えたんだけど、
リーダーが何人もいることは混乱を招くし、
一旦自分は現場からははなれて遠目から見守ることにしたんだけど、、
できたものはやはり自分がフィールしたものじゃなかったんだ。
Naoki、君のために面白い話をしよう。
君は彼のことを僕に思い出させるんだ。
誰もが憧れる、伝説の存在だよ。
そう言って話を始めます。
彼の作品がすごい好きで、なんとか一緒に仕事できないかって考えてたんだ。
ある日僕から作品を送って可能だったら一緒になにかできないかと
こっちから連絡を送ってみたところ、
二つ返事で、おもしそうだな!いいよ!
日程を決めて彼は早速アメリカからひょっと飛んできた。
で実際レコーディングを初めて見たんだ。
ディアンジェロのエンジニアでプロデューサーって聞いたから
とんでもない技を持ってたり、ものすごいディレクションを
してくれることを僕は期待してたんだけど、
彼がしたことは、その場でひたすら
レコードをかけて僕たちに聴かせるんだ。
毎日音楽かけて1週間くらいは全く意味がわからず、
このプロジェクトは最悪に終わるんじゃないかとさえ思った笑
それを続けて2週間目くらいに、
やっとみんなの音が1つになりはじめたんだ。
こんな風にしたい。このヴァイブだ。このエネルギーだ。
スタイルとかリズムというより、エネルギー。
全てはエネルギー。そして感じるか感じないか。
正直衝撃だったよ。でも彼が一番正しかったんだ。
僕は音楽の本質を考えさせられたよ。
Naoki、プロデューサーにあるべき正しい姿なんてないんだよ。
君はSWEET SOUL RECORDSという
世界中のネオソウルを厳選して集めるレーベルの
オーナーだ。扱ってるアーティストは
iETを含め最高のアーティストだろ。
君がやってることにもっと自信を持て。
君の感性を才能をもっと周りに見せろ。
そして君が目指しているビジョンを
何が何でも、どんな方法でも実現するべきなんだよ。
自分を貫くことは決して悪くない。
君はお金を払い、いろんな物事を犠牲にしてリスクを取り
誰よりもNaoのことを考えてやってきたんだろ?
争いを恐れず、自分を最大限に出していけばいいんだよ。
まるで氷の中から解き放たれるように、
自分が抑えてきたものが溢れてきたと同時に
自分のトラウマや考えの回想が始まりました。
ぼくは音楽業界に入った時からどこか恐れていました。
自分は音大もでてないし、音楽をずっと生業にしてきたわけじゃないし、
本当は音楽のことわかってないんじゃないだろうか。
実際、レーベル始めた当初は自分の言ってることなんて
誰も聞いてくれなかったし、初期の作品はミュージシャンに
全く相手にされなかった経験もあり、トラウマにさえなりました。
実際自分の想像を超えてくれる音楽家たちとも仕事をすることができました。
そこで自分を殺したほうがいいものができるのではないだろうか?
と自分を殺す癖がみについたのかもしれません。
そんなことを全部打破してつくったアルバムが
The Lightだったのに、実はThe Lightは遠隔での指示だったり、
ディレクターを挟んで好きなこと言ったりで
自分が体当たりで現場つくったのはこのRisingがはじめてだったのです。
ましてや、異国の地で自分が外国人として。。
プロデューサーとして自分の意見が通らないかもしれないという怖さがあったと気付きました。
僕はこのタイミングで全てをひっくり返すことに決めました。
金銭的なリスクも、時間的なリスクも全て忘れて、
全て自分が正しいと思う方法でやり直す。
残っていたスタジオ日程は全て自分が現場に入り、
レコーディングの現場に参加しました。
大好きなメンバー、シャーマとフレッシュカッツ。
最初にやったことは、シャーマに自分の意見をくまなく伝えることからはじまりました。
録り終わった曲も、全部録り直しをすることにしました。
シャーマをミュージックディレクターとして
彼女を通して、時には自らミュージシャンに意図を伝えてなんとか自分のディレクションを貫きました。
彼女にすごい迷惑をかけ、失礼なことをしました。
でも自分のビジョンを突き通すことに僕は必死だったのです。
その作業は時に、日付をまたぐこともありました。
予定していたレコーディング日程の後も
ぼくは思い切って、Budyとのレコーディングセッションを決定し、
自らミュージシャンを集め、録音することにしました。
さすがにシャーマの力も借りたかったので
スタジオには来てくれとお願いしました。
レコーディング直前の直前になって、
シャーマは多忙のため来れないことが発覚します。
まるでお前がやれ!と誰かに後押しされているような感覚でした。
一体なんなんだこれは
自分の意見がシャーマなしで意見が通るのだろうか。。。
シャーマの次に意見が通るのはきっとNaoだろうと踏んで
彼女に自分の意思を伝えることを考えます。
それをNaoに伝えると
「山内さん、自分で伝えることをなんでしないんですか?(;_;)
これはもう山内さんにやれって神様が言ってるとしか思えません(;_;)」
いやNaoが伝えてくれた方がアーティストだし
きっとスムースにいくと思わない?
時間もないしそこ議論してる暇ないからやってくれないかな?
「私は山内さんのビジョンは本当に素晴らしいと思うし、山内さんの感覚を信じています。
バンドに山内さんが直接伝えた方がもっといいものができると思うし、
バンドのみんなも山内さんの意見を待ってると思います!(>_<)」
情けない話ですがこのタイミングでもまだ自分がやっていいのか。。
という不安が再燃しました。
こんな不安とは裏腹に、レコーディングに挑むと
ブディやフレッシュカッツのメンバーが
ぼくを温かく迎え入れてくれました。
Naoki、最高のものを作ろう。
ぼくは慣れないことではありましたが、
ラッセルのように、自分の目指すリファレンスをつかい
時にはリズム譜を書きあとありとあらゆる方法で
目指してることをできるだけわかりやすく
みんなに伝え、自分の目指しているフィールを実現します。
フレッシュカッツ達は最高のリスペクトとともに
僕の意見を信じ、実現してくれました。
チャンスに導かれたのかもしれません。
自分に殻を作っていました。
IT業界出身の自分、社長である自分、
経験が浅い自分、Naoにはもっと適任がいるのではと思ってしまう自分。
一人で始めた会社だったため、最初は何でもやりました。
自分がやりたい、やりたくない関係なく
信念に沿えばなんでもやって来ました。
でも音楽を実際に生み出すことだけは
どこか抵抗があったのです。
僕にとって音楽は神聖なもので、
選ばれた人しか接してはいけないものと
思っていた部分があるのかもしれません。
自分の考えを出しきろう。
この機会を経て、またNaoに助けられて、
ぼくは一つ上のレベルに引き上げてもらうことができたのです。
思い出せば、旅の道中に何度も何度も
「山内さんの感覚を信じてます。
良い意見をもってるのに出さないことは絶対に良くないです。
神様から与えられたものを使いきってください。」
と言ってくれたのは彼女でした。
このインスピレーションはきっと曲になると
ぼくはアイデアとして自分に蓄えたことを
今でも強く覚えています。
そしてチャンスをくれたシャーマに心から感謝の気持ちを。
Dankjewel. Hou van je Shirma!
オランダの最終日、旅の終わりに僕の手に残ったレコーディングが完結していた曲は
7曲中3曲。ベーシックやパーツで取れていたもの3曲。
オランダの旅は結果惨敗でした。
このあとに控える、日本でのシャーマとフレッシュカッツとの4都市でのツアーのために
帰国を余儀なくされるのです。
最後にオランダで完結した曲の解説を。
Turning
NaoがMake the Change Projectにインスピレーションを受けて、
ソウルミュージックを通した、旅の先々でおこる運命的な
人との出会いそして別れ。それによってうまれる愛、友情
移りゆく情景をカラフルに描いた楽曲。
ライターの林さんにはラジオフレンドリー!と大絶賛を頂いた
アルバム唯一のポップテイストを持つソウルチューン。
Joy
コテコテのラヴソングをNao Yoshiokaが自ら書き下ろす。
宿題提出時に、いいね!とNaoを賞賛したことを覚えています。
フレッシュカッツではなく、キャンディー・ダルファーのバックバンドを
あえて使ったことで、一般的なソウルマナーではなく、
少しポップチューンの加わった特別な1曲になりました。
続く
THE JOURNEY OF RISING 〜アルバムの7つの隠れたストーリー〜
「RISING」プロデューサーズライナーノーツVOL.1 〜僕にとってのアルバム制作の真意〜
「RISING」プロデューサーズライナーノーツVOL.2 〜THE LIGHTから INTO THE LIGHTへ〜
「RISING」プロデューサーズライナーノーツVOL.3 〜アメリカでの悪夢〜
「RISING」プロデューサーズライナーノーツVOL.4 〜アメリカでの悪夢2〜
今週はついにRising Japan Tour 2015の東京ファイナルが、
土曜日に迫りましたね!
今日も前回に引き続き、ライナーノーツを綴ります。
過去の記事はこちらです。
THE JOURNEY OF RISING 〜アルバムの7つの隠れたストーリー〜
「RISING」プロデューサーズライナーノーツVOL.1 〜僕にとってのアルバム制作の真意〜
「RISING」プロデューサーズライナーノーツVOL.2 〜THE LIGHTから INTO THE LIGHTへ〜
「RISING」プロデューサーズライナーノーツVOL.3 〜アメリカでの悪夢〜
ブライアントのレコーディングを終えて
ダラス、そしてフィラデルフィアを経て、アメリカの最終地はニューヨーク。
グラミー受賞アーティスト、ゴードン・チェンバーズとのレコーディングが待ち受けていました。
この話は、Naoとニューヨークに同年の2014年3月に訪れた時に、
彼に打診をし、帰国後話を詰め正式にオファーとなりました。
ゴードンには、2013年のNAOのデビュー前のショートツアーで
初めて会うことになりますが、正直言って
僕にはレジェンド的な存在。
このアルバムは自分がレコード屋でCDを買って、
CDが擦り切れるくらい好きなアルバムだったのです。
あのGordon Chambersと仕事ができる。。
僕は会う前から彼への尊敬は絶大でした。
依頼したかった最大の理由は
彼のようなスーパーソングライターでありプロデューサーに
NAOを全く違うレベルまで連れて行って欲しかったのです。
強いリスナーとしての憧れもあり、
彼への期待は一入でした。
そこが一つの壁になるなんて当時は予想もつかなかったのです。
今だから話しますが、僕が去年の3月にNaoと制作の依頼をした時には、
セントルイスに来てもらい、ブライアンのメンバーたちとの
バンドのレコーディングをすることを快諾してくれていました。
そしてニューヨークでは、彼とのDUO曲とボーカルのみを録音すると
僕は決めていました。そのようにもちろん旅程も手配しました。
これは、セントルイスのエンジニアとスタジオのクオリティをしっかりと
把握していたため、プロダクションのレベルを担保し
アルバムの統一性を保つためにも僕の配慮でした。
しかし渡米が近づくにずれ、ゴードンの意向は変わります。
「やっぱりニューヨークで録りたいんだ。」
なんとか交渉を成立しようとしましたが、
彼のサウスアフリカへの出張という理由も含めて、
最後はニューヨークでやりたいという話をしてきます。
「僕の知っている最高のメンバーを呼ぶから信じてくれ。ニューヨークの最高のメンバーを集めるよ。」
プロデューサーとしては、最初に意向に沿って欲しいと、
自分の意思を貫こうとしました。
最初の彼のニュアンスは
「ニューヨークでもいいか?」
ということだったので、僕はいやセントルイスでとりたいと率直に伝えました。
それはアルバムプロデューサーとして、プレーヤーの特性やスタジオの音、
特質を理解し、アルバムとしてのサウンドの統一性を理解しつつ
想像しているクオリティを実現するためです。
やり取りをしていくうちに、彼がニューヨークでとりたいことは頑なであることが
浮き彫りになります。
これ以上交渉したら、もうこの話はなくなる。
ニューヨークでの滞在も決まり、ホテルも確保し、航空券を確保した後のことでした。
制作費は当たり前のように膨らみます。
僕はここで一つ賭けをすることを余儀なくされました。
ニューヨークでレコーディングをする。
そして具体的な曲の話が、アメリカツアーと同時期に始まりました。
まずは曲紹介をしましょう。
I Need You
アルバムにはゴスペルをベースとした、
1曲Duoソングを入れたいと考えていました。
コンセプトはNaoの母に送る感謝の歌。
ゴードンといえば、ゴスペルをベースとした
R&Bのプロフェッショナル。ホイットニー、ヨランダなど
数えたらキリのないほど曲提供をしています。
なので必然的にお願いをすることにしました。
ゴードン・チェンバーズだからこそできる。
この歌詞と美しい旋律。
素晴らしいの一言。
Rise
この曲の収録は最後の最後まで頭を悩ませました。
プロデューサーとしてはアルバムを構成する要素として想定をしていなかったからです。
アルバム全体の統一感や魅力、曲順や雰囲気など綿密に設計した自分にとっては、
正直に言うと必要のない曲だったのです。
ゴードンに依頼したのは合計2曲。しかし終わってみると3曲になりました。
ポジティブな視点から見る未来の曲。つまりDreamsのような曲を期待し、
彼に詳細にリクエストを送って話しておいたつもりが、
最初に送られてきた曲はこの曲。
彼の思いを聞くと、
「彼女と3月に話した時の僕のインスピレーションはこれだったんだ。」
レコーディングは9月。3月からNaoのマインドは進化し成長していました。
またこのネガティブな視点からの脱出という曲調
皆さんご存知の通り、最高の曲なのです。
但し歌詞はこのアルバムに含まれるものとは真逆になりました。
歌詞の中には、虐待・妥協などかなりネガティブなキーワードが含まれています。
そこから眩しいくらいに光り輝く曲後半の盛り上がりはもう最高であり
ゴードンの力に驚かされるばかりでした。
レコーディングは9月。ゴードンと話した3月からNaoのマインドは進化し成長していました。
またこのネガティブな視点からの脱出という曲調をすることは
僕の頭のなかにはなかったのです。
結果、ボーナストラックとして起用し、
今回のツアーでは重要な役割を果たす曲になっています。
意味がわからない!と思う方もいるかもしれませんが、
最初に作ったこのアルバムのコンセプトを見返してくだされば、
きっと理解をいただけると思います。
Dreams
この曲は皆さんご存知通りの、アルバムのリードシングル。
ゴードンからこの曲が出てくるまでは、かなりの時間を要しましたが、
リクエストに最も近い形の曲を最終的には提供してくれました。
この曲が送られてきたとき、僕らはダラスにいて、
聞いた瞬間に感動したことを今でも忘れません。
底知れぬワクワク感があったのです。
僕、そしてNaoを応援する関係者達が
Naoに見ているものは、日本のソウルミュージックシーンの夢。
音楽の元気な時代にもしNaoが生まれてきていたら、
こんなに苦労すること無く、スターダムにのし上がっているのではないか
と思っています。アメリカでの実績や彼女の歌の力、
見る人が見たら、当時の音楽を大切にする人々であれば、
きっと引く手あまたなのではないかと思います。
難しい音楽時代に、彼女が自らの力で未来を切り開いていく姿を
皆さんに見せていくこと。それが2010年代の新しい僕達の音楽の見せ方。
オリコン・チャートや紅白を目指す時代から
世界のステージに大きくかけるビジョンを僕たちは
この曲を時代にひっかけて世に送り出しました。
Naoの夢が叶うときは、僕らの夢が叶うとき。
このあと書くことは、自分が一方的に感じることもあることや、
公平性に欠ける文章になると思います。
だから一部の方に公開をさせていただこうと思います。
※内容をカット
こんな理由で、DreamsやI Need You、Riseには
死ぬほど苦労をしました。想定していた何倍もの労力をつかい、
まさに地獄の日々を送りました。
真剣勝負中の真剣勝負。気持ちは穏やかではありませんでした。
しかし制作を終えて、なんとか自分の目指すクオリティまで到達し、
リリースを経たあとには、その気持ちは和らぎました。
なぜなら彼のボーカルディレクションの力、
作曲した曲の力は本物に違いないからです。
マスタリングを終えたあとにはこの曲は
より多くの人に愛されることは間違いないと確信ができました。
彼も実際できたものにはとても喜んでくれたし、
リリース後に行ったB.B.Kingの公演の際には僕の苦労話はもう後の祭りで、
一緒に戦った仲間のような感覚で話をすることができました。
こうして悩みながらも彼がくれたチャンスに真剣に向き合い
ぶつかったからこそ、結果は出たのだとおもいます。
しかし、今回に関しては終わりよければ全て良しでは
ありませんでした。
この出来事は結果よりも工程に
重要な部分があるとおもっています。
このレコーディングがきっかけで
自分の役割、考えを根本から見直すことになったからです。
自分の判断は果たして正しかったのだろうか。
自分の存在っていったいなんなんだろうか?
僕はある意味、The Lightの時の同じ過ちを繰り返したのかもしれません。
Gordonに依頼した時、どこかでこう思っていたのです。
彼とのコラボがうまくいけば、
きっとナオは僕のようなまだキャリアの浅いプロデューサーではなく、
彼女の才能をもっともっと100%伸ばしきることができるのではないか?
僕が介在しなくてもきっと彼のような
ネームバリューがあるアーティストと仕事をすれば
全てを任せ、どんどんと新しいものができるのではないか?
自分はプロデューサーとは名乗っているが、
本当はもっともっと彼女に適任の人がいるのではないだろうか。
こう思っていたのです。
つまり自分の力への疑いがあったのです。
グラミー賞の受賞者だから間違いない。
アレサやビヨンセもやってるから間違いない。
自分より正しいのではないだろうか。
Nao Yoshiokaをもっともっと成功させてくれる
揺るぎない実力がある人がいたら託したい。
自分が手がけるにはNaoの才能は身に余るのではないだろうか。
という疑問がやはり頭のどこかに潜んでいて、
出てきていたのです。
アメリカ最終地、ニューヨークでは前述した通り、
僕はレコーディングに立ちあえませんでした。
自分がアルバムプロデューサーとして、
想定外の事態に陥ったまま、
日本に帰国することになりました。
日本に帰り、アメリカのレコーディング音源の
ラフミックスが送られてきた時、
疑問は絶頂になりました。
どんなときでも誰が相手だろうと、
自分を信じきり、ビジョンを突き通すべきではないだろうか?
こんなことを考えながら、考え切る暇もなく
オランダへの渡航となりました。
頭にこびりついたこの考えは、
オランダで浮き彫りになり、
このあと早いタイミングで
完全に直面することになったのです。
オランダに続く。
過去のライナーノーツはこちらから
THE JOURNEY OF RISING 〜アルバムの7つの隠れたストーリー〜
「RISING」プロデューサーズライナーノーツVOL.1 〜僕にとってのアルバム制作の真意〜
「RISING」プロデューサーズライナーノーツVOL.2 〜THE LIGHTから INTO THE LIGHTへ〜
「RISING」プロデューサーズライナーノーツVOL.3 〜アメリカでの悪夢〜
Rising Japan Tour 2015札幌公演を水曜日に終えて、
明日でファイナルまであと1週間。
ファイナルまでブログ更新していこうと思います。
今回は3話目少し時間が空いてしまったので、
下記のブログも併せてご覧ください。
THE JOURNEY OF RISING 〜アルバムの7つの隠れたストーリー〜
「RISING」プロデューサーズライナーノーツVOL.1 〜僕にとってのアルバム制作の真意〜
「RISING」プロデューサーズライナーノーツVOL.2 〜THE LIGHTから INTO THE LIGHTへ〜
この章を書くにあたって、
まずはもう1年以上前になるアメリカでの制作を思い出そうと
アメリカで僕が書いたブログを見返してみることにしました。
ところが探し始めてみると、、、
ツアーについて書いているものがほとんどない。。。
下書きは何個か見つかったのですがどれも中途半端な状態。
体力、精神、双方ともに極限だったという覚えがあります。
過酷だった理由は主に二つ。
一つめは移動、作詞作曲、そしてライブにレコーディングと、
慣れない体験の繰り返しを限られた時間とお金で
やりくりしなければいけなかったこと。
二つめの理由は、後半あたりに書くことにして、
まず一つめについてお話していきます。
僕たちが当初予定していたツアーは実は3週間弱。
レコーディングとライブを兼ねた
セントルイス、ケンタッキー、ダラス、フィラデルフィア、ニューヨーク
という5箇所の旅でした。
しかし、渡米一ヶ月前にある事件が起こりました。
それは9月初旬から向かうはずのアメリカツアー最初の都市、
Brian Owensが住むファーガソン(セントルイス)での出来事。
次々にニュースは広まり、この事件は暴動や略奪へと発展していきます。
僕たちは法人として、渡米する判断を煽られます。
延期するべきか、否か。
そんな中、ブライアンから連絡が入ります。
「ファーガソンは安全だ。おれは市民のためにフェスをやる。
だから早く来て、協力してくれないか?」
延期どころか、早く来てフェスに参加してくれというオファーだったのです。
9月2週後半あたりからの渡米予定を急遽変更して、
僕たちは暴動の冷めやらないファーガソンに向かうことになりました。
その時の記事がこちら。
「BRIAN OWENSがHEAL FERGUSONでみせてくれたアーティストの真の力」
急な予定変更でしたが、結果的には予定より一週間早く入ったことが
アルバム制作を大いに助けます。
僕たちは9月5日に渡米、8日にイベントに参加し、
10日〜13日の4日間、みっちりとBrian Owensと
ライティングセッションをすることができたのです。
実は今回アメリカでレコーディングに立ち会うのは初めての経験。
前作は僕たちはレコーディングには参加せず、
すべてのディレクションをBrianに任せました。
そしてライティングセッションも同様に、
前回はカヴァー中心且つ、ブライアンに作詞作曲を
してもらいましたが、今回は曲もすべてはじめから一緒に創る
という新しい挑戦にあふれていました。
渡米前から彼とやり取りをしていたのですが、
やはりスカイプでは限界があり、中途半端な状態での渡米になりました。
十分に曲の構想が練れてない中で
レコーディング日程は決まっていて迫っている。。
このプレッシャー。
本当は渡米前にある程度固めてから臨みたかったレコーディング。
そうして僕たちは正しい判断をしたことに現地で気づきます。
ファーガソンのイベントのために早く入らなかったら、
この3日間がなかったらいったいどうなっていたんだろうと思うと冷や汗ものです。
Brianの家で行われたライティングセッション。
今回はそもそも、BrianとNaoが曲を共作をすることが前提でした。
Brianには3曲プロデュースをお願いしました。
ただし、すべての曲にはオーダーがあり、
僕がアルバムプロデューサーとして
こういう曲をお願いしたいという、
ガイドラインを作っていました。
ライティングをしているときは僕は一歩引いて、
本当にブレそうなときや、重要な時以外は口を出さず、
本人たちのやりとりを常に観察していました。
スムースに進行し、これはかなり良いなと感じた矢先、
試練が待っていました。
「LIVE」という楽曲に差し掛かった時です。
Naoが本当に伝えたいこと、それを自分が正しく感じる
曲調にすることを実現すべく、Naoは主張を続けますが
なかなか伝わらない。
そしてBrianが提示してくれたものは、意外にも少しPOP路線。
「せっかくだからNaoの可能性を広げてみないか?」
コード進行もBrianが普段使うようなものではなく、
初日はすこし咬み合わないやりとりが続きました。
Brianはこの初日に、Naoに言い渡します。
「Nao、このセッションで君は僕のことを嫌いになるかもしれない。
でもそれも必要なプロセスかもしれない。」
Naoの初日の感想をきくと、とにかく自分がやりたいことが
うまく伝わらないし、やはりBrianもアーティストだから
自分を出してくるし、なんとか自分がやりたいことに近づけたい
ということでした。
悪夢はここから始まります。
言語の壁はもちろん、それ以前に彼女は人に物事を伝えること自体が苦手です。
ブライアンとライティングセッションが終わったあと、
ホテルに帰り、どうやったら伝わるかの対策が始まります。
対策というのは、曲のコンセプトを再度ヒックリ返して詰めることや、
歌詞を書くこと、メロディを考えることなど多岐にわたり、
迫り来るレコーディングに、寝る暇もないほどのタスクが舞い込んできました。
セントルイスでの生活はほぼ2、3時間の睡眠と、
それを追い込むように公演のための移動に苛まれました。
ブライアンが勧めてくれた彼の家の近くのHOTELは空港近くにあり
あたりは閑散としていて移動手段はほぼ無し。
外出といえば来る日も来る日も遠征、リハーサル、ライブ、ライティングセッション。
自由を完璧に奪われた気分でした。
こんなことを想像していなかった僕自身は
HOTELの無線環境が悪かったというのもあるのですが
日本との連絡がなかなか取れないような状況になったのです。
とにかく、なんとかここをくぐり抜けたい。。という思いが印象的でした。
しかしこの時の苦労こそが、後に控えていたレコーディングにつながったことは、
曲が生まれたあとに、納得できました。
外界を遮断するというか、ほぼ隔離されたような状態のなかで
とことん曲を突き詰め、自らを追い込み、
恐れること無く意見の交換をし続けました。
お互い譲らないところは譲らないスタンスではありつつも、
「良いものを創る」という見据える方向は常に同じ。
しっかりと準備ができた状態で挑んだスタジオワークは
ご褒美のような感覚でした。
ゴールがしっかりと見えているため、楽器の録音はスムーズに。
そしてセントルイスのこのショックウェーブスタジオの部屋の音、
プレーヤーの腕、エンジニアの腕、すべての条件がそろっていました。
ドラマーのロブ、ブルーノート東京に来てくれたメンバーの一人。
最高の左利きドラマー。ソウルミュージック、ゴスペル、
僕は彼ほどエモーショナルかつ正確無比に、
そして往年のソウルドラマーの匂いを残した
ドラマーはまだ出会ったことがありません。
楽器のレコーディング初日は同じくブルーノート東京にて来日し、
SWEET SOUL RECORDSからソロアルバムも出している
マイケル・ヒックスも飛行機で駆けつけ
予定していた日数よりも早くに終了。
順調に見えたレコーディングですが、
もう一つの試練がNAOには待ち受けていたのです。
最大の難関はボーカルレコーディング。
彼女はレコーディングに挑む際、すべて自分で作りこみ
練習してきたことを表現することを好みます。
その練習期間は1曲のために1週間でも2週間でも
家にこもり、制作をするのです。
彼女いわく、これが最大の楽しみであり
楽しい作業ということでもあるようです。
※歌オタクですね笑
さて今回の場合、曲達はできたてのホヤホヤ、
楽器レコーディングが終わって数日も経たないうちに
ボーカルのレコーディングを迫られます。
今回はオリジナルが90%以上を占めますので、
カヴァーと違い、お手本も何もない状態。
NAOには難関でした。ただ僕は楽しみだった。
ブライアンという素晴らしいボーカルディレクターがついて
その場で生まれる、コラボレーション。
前回はスカイプ越しだったのですが、
今回は一緒にスタジオに入って
ブライアンがまた次のレベルに連れて行ってくれることを確信していました。
そして生まれたのが
- Love Is the Answer
- LIVE
- Nobody
- I’m No Angel
この4曲。NAOが持つソウルフルでブルージーな側面を
しっかりと表現しつつも、新しいことに挑戦した
最高のセントルイスのレコーディングとなりました。
簡易ですが少し解説を。
“Love Is the Answer”
本人がよく言いますが、
恐怖ではなく愛を選ぼう。
どんなエピソードがあったかはわかりませんが、
僕はこう捉えています。
人を愛することは自分をさらけ出すこと、
1人の人を愛するということはある種の選択肢を捨てるということ
例えば、愛することで傷つくかもしれない。
もしかしたら友情をなくしてしまうかもしれない。
でもやっぱり選択は愛すること。
この曲はまさにJBを意識した気合の入ったファンク曲をやるぞ!
というコンセプトで始まり、ブライアンの一番の得意領域で
キレッキレに作ってくれ!!とお願いをして
プロデューサーの自分的には1曲目になることはコンセプトの段階できまっていました笑
“LIVE”
過去に縛られる自分、
未来を恐れる自分は終わりだ。
君は今を生きるべき。
その瞬間瞬間を大切に生きること
それが最高の未来を作り出す。
だから”今を生きろ!”
ミックスをしてくれたトニーはナッシュビルにいて
この曲の最初にミックスをあげてくれた時に、
ドラムのデカさと、パンチ力に圧巻されました。
アルバムの中ではすごい攻撃的なミックスを試みた1曲です。
“Nobody”
この曲はジャム・セッション中に出来上がった曲で、
スタジオでドラマーのロブがリズムを崩しだした時点で、
マイクヒックスが絶妙なアプローチをそこにしていきました。
すかさずコントロールルームにいたブライアンが
DOPE!
と叫びます。そして言いました。
「Naoこの曲はやばい!俺もう歌詞も思いついたから書いていいか?」
ブライアンは決め手には、
プリンス専属のトランペッター、フィリップを
起用することを決めます。データのやり取りで
トラックは全く新しい雰囲気に生まれ変わりました。
自分的には結構ドキドキする采配ですが、アルバムのユニークさに
貢献してくれた一曲です。
“I’m No Angel”
本当はNaoの大好きなEvil Gal Bluesをカヴァー収録するはずだったのですが、
Brian「Nao、自分のブルースを書きなよ!絶対その方がいい。君のストーリーを語ってよ」
「いや、私はEvil Gal Bluesやりたいんだけど。。」
「なんでこの曲なの?」
「私っぽいから。シリアスなものがおおいけど、この曲は楽しいし。。。」
「私はいつもにこにこしてるけど、”天使じゃないから”。。。」
「それだ!I’m No Angel!」
この曲はみなさんツアーでおなじみですが、
12公演を終えた今、毎回毎回成長している曲だなと思います。
レコーディング時はとてもエモーショナルな瞬間があり、
Naoのポテンシャルの高さに何度もワクワクしたことを覚えています。
そういう意味でも熟成された東京ファイナルは最高に楽しみですね。
簡単な曲の解説になりましたが、1曲1曲にはここには書ききれないだけの
たくさんの意図とエピソードがあります。
ちゃんと意味を持って音楽を世に届けること。
全力で、今ある力を振り絞って音楽に体当たりした経験が
Naoのソウルミュージックには滲み出ています。
レコーディングを終えた僕たちは
このあとダラスに向かい、そしてフィラデルフィアに
そしてアメリカ最終地点のニューヨークで待ち受けていたのは
アメリカ最大の試練でした。
こんなエピソードを思い浮かべながらの
東京ファイナル、ちょっと聞こえ方が変わるかもしれません。
みなさんにお会いできることを楽しみにしております。
次回の更新もお楽しみに!
過去のライナーノーツ
前回の記事に引き続き、アメリカ最大手のソウルメディアSoultracksでの、
SoulTracks Readers’ Choice AwardsのNao Yoshiokaノミネートについて。
続々と、投票をしたよ!という報告を頂いております。
みなさんご協力本当に有難うございます。
僕にも投票用メールが来まして、早速投票しました!
少しわかりにくいかもしれませんので、改めて投票方法をここで説明させていただきます。
まず投票をするには、SoulTracksへのメルマガ登録が必要です。
それについては前回の記事で説明をしておりますので、
このリンクでご覧ください!
そして今回ですが、下記のようなメールが届きます。
ブラウザ(インターネット・エクスプローラ、グーグルクローム)や
メーラー(Gmail、Yahooメール、もしくはOutlookなど)によって
見え方は違う可能性がありますが、おそらく下記のようなメールが届きます。
そして次にブラウザーが開きます。
※ブラウザでのポップアップを禁止にされている場合は、それを解除してください。
次にこの画面に進みます。
ここのコンティニューボタンを押します!
そして投票画面へ。
ぜひほかのアーティストもご存知でしたら、チェックを押してあげてください!
下記は拡大図です。
まだ投票を受け付けています。米国時間で、28日までに登録をすれば、
28日再度メールが届きますので、ぜひぜひ応援お願いいたします。
登録はこちら:http://www.soultracks.com/
登録の詳しい説明はこちら:http://www.spreadrealmusic.com/column/winning-soultracksaward/
他のアーティストも同様にこの投票にファンへの応援を呼びかけています。
強豪揃いなので、ぜひぜひみなさんの一票をNaoによろしくお願いします。
何度も話しますが、
2015年米国最大手のSOULTRACKSの最優秀新人賞をNao Yoshiokaが受賞!
これを皆さんと実現することが、どれだけ素晴らしいことか。
もしこれが実現すれば、アメリカ全土含めて世界のソウルファンに
Nao Yoshiokaの存在と日本のソウルミュージックシーンが認知される大きな一歩になります。
日本で生まれた、新たなソウルミュージックの文化が開花します。
僕が目標とし、WORLD SOUL COLLECTIVEで体現している、
日本を中心としたソウルのユートピア
の実現はもっともっと近くに見えてきます。
日本でソウルミュージックのフェスティバルだってできるかもしれません。
アメリカ、ヨーロッパ先行だったソウルミュージックも、
真の意味でワールドワイドになり、
ソウルミュージックが世界をつなぎます。
そしてなによりも、アーティストの活動の幅や表現の幅もより自由になります。
日本の素晴らしいアーティストたちの成長や可能性も確実に飛躍することでしょう。
厚かましいお願いですがぜひぜひ、
みなさんのご協力、お待ちしております。
Rising Japan Tour 2015折り返し地点を経て、本日は松本公演!
残念ながら私はお留守番です。
それもこれも、とんでもないニュースが僕たちに舞い降り、
なんとかみなさんにお伝えするために今こうしてブログを書いております!
兼ねてからこの日が来ることを待ち望んでいました。
さらには、、数多くのアーティストの中から
これは快挙としか言いようがありません。
SOULTRACKS.COMはおそらく僕が大学生のころから見ている
ソウルミュージックに特化した素晴らしいメディアです。
PVを獲得するために音楽のメディアも
ゴシップやメジャーシーンの芸能的なネタが中心になる中、
SOULTRACKSは創業時から変わらず、
インデペンダントレーベルの新旧を問わず素晴らしい作品を
10年以上にも渡り、真面目にそして情熱的に、
ソウル愛とともに紹介を続けてきました。
こういった活動には心から尊敬の意を表したいと思います。
僕らSWEET SOULも以前からコンタクトは少しずつ取り始め、
Soul Over The Raceの時代から、ファウンダーである
Chris Rizikからポジティブなコメントをもらうことができました。
Soul Over The Raceというアルバムは、
SWEET SOUL RECORDSが主宰するオーディションに参加してくれた
日本の素晴らしいアーティストたちが世界に向けて
ソウルミュージックのカヴァー曲を披露し、
この日本でも、ソウルミュージックが存在することを
知らしめるためにできたようなアルバムです。
またNao Yoshiokaはソウルミュージック界の日本代表である。
と公言してきましたが、これは僕たちが目指してきたものの
一つの証明と言えるのではないでしょうか。
この事実がどれだけ凄いことか、僕は本当に嬉しくてしょうがないのです。
アメリカの由緒正しいメディアが僕たちの音楽を受け入れ、
日本人のアーティストを受け入れてくれたこの事実こそが、
ソウルミュージックの力であり、真髄だと思うのです。
そして何よりも、
”前例を創ったということ、0だった可能性を1に変えたのです”
まさにMake the Changeの精神が体現されました。
前例ができた=架け橋ができたということが、
今後現れるだろう日本の若き才能たちにも
どれだけ勇気を与えられるか計り知れません。
今回のNao Yoshiokaのノミネートに関して、
SNSでは多くの方が、ツイートやコメントをくださって、
本人も我々も心から喜んでいますが、やはり目指すは
最優秀新人賞を受賞すること。
そして、取れると思うのです。凄いチャンスだと思うのです。
なぜなら、受賞者は投票制で決定され、
みなさんの一票一票が、反映されるからです。
私たちが本当に結束して、力を合わせれば、本当に取れると思っています。
誰かと戦うというよりは、日本人に取れるはずなんてない。と思っている
自分たちとの戦いだと僕はおもってます。
だからこそ絶対に負けられない戦いだと位置付けています。
グラミーだって夢じゃない。
そういうつもりで、世界基準で僕たちは目指してやってきました。
年間最優秀新人賞は確実にそのステップにつながると信じています。
みんなで一緒にこの賞を獲得しましょう!
投票方法はいたって簡単です!
もしかしたら英語でいろいろ分かりにくいと思いましたので、
改めて投票方法を説明します!
- 投票をする資格は、SOULTRACKSのメルマガの読者である必要があります。
- 投票は10/23と10/28日(新規メルマガ登録者用)にみなさん送られるメールで行います。
なのでまずは読者登録です。
メールアドレスを記入して、Subscribeを押した後に下記の画面に遷移します。
上記の指示に従ってSign Upを押して終了!
あとは23日(または28日)に届くメールから投票です。
メールが届き次第、また詳しく解説させていただきたいと思います。
発表は12月7日。
受賞した暁には、勝利の美酒に酔いしれましょう!!
そしてRising Japan Tourは続きます!
ぜひファイナルでお会いできると嬉しいです!
11/21 Rising Japan Tokyo Final
現在ワシントンからボルティモアへ移動をしてきました。
昨日はワシントンから車で20分程度のアレクサンドリアにあるThe Birchmereにて
Jose Jamesのオープニングを終えたばかりです。
アメリカでのこといろいろ伝えたい事はあるのですが、
まずはかねてから暖めていた、この映像作品を紹介させてください。
Into the Light -Introducing Nao Yoshioka-
この映像は、Naoのデビュー以前からお付き合いをしていて、
The Light発売時にリリースしたSpend My Lifeのミュージックビデオを手がけて下さった、
日本が誇る世界のクリエイター集団augment5 inc.が
プロデュースしてくださいました。
もう2年も前になりますが、彼らのこの映像がネットで話題になり、
ちょうどミュージックビデオをどうするか考えていた僕にとって
衝撃的な映像でした。
こんな世界観で、あたかもその場にいるような空気がすごい伝わる映像を撮れる、
会社は正直日本では見たことありませんでした。
ありきたりなミュージックビデオではなく
海外にも通用するような世界観、情景の美しさ、空気感を表現できる
会社をちょうど探しいたのですが、なかなか見つからず苦労をしてたころだったのです。
すぐに会社名を調べ、代表の方の名前を検索し、井野さんだとわかりました。
augment5社はなんと代々木上原にあって、事務所も近く。
さらにうちのスタジオのデータベースを調べると、
一度利用もしてくれたことがあったのです。
ますます興味はわき、、
絶対に彼らにお願いしたい!
という思いは絶頂になりました。
とりあえずfacebookで誰とつながってるか見てみると、
やはり共有の知り合いがいて、まずはその友人からアプローチしました。
彼のおかげでなんなく、連絡が取れたと思ったのですが、
なんと電話はつながったのですが、
今ケニアにいるから、もどったら話しましょう。
ということだったんです。
帰国後に早速打合せをしました。
安定のファイヤーキングカフェ。
最初の印象は、
「あーこれ作ってもらえないだろうな。」
ぼくの勝手な推測ですが、話題になった動画を見て、
この手の問合せはくさるほどあったのでしょう。
そんな中、友人の紹介という小作な手を使った自分は、
なんとかあってもらえることができたのですが、、
映像会社にとって音楽系の案件はメジャー以外は鬼門です。
音楽業界はどこも予算がなく、それなのに作るは大変。
飛ぶ鳥を落とす彼らにには、一見のわけもよくわからない
インディの音楽レーベルと取り組むことは
何のメリットもなかったでしょう。
しかし、少しだけでも僕達のやってること、
考えてること、成し遂げたいこと伝えられるように
熱を込めて伝えたところ、少しずつ可能性は見えてきました。
そしてそのタイミングで僕はアーティストパワーを借りるべく、
その場で電話でNaoを呼び出します。
漸く最後には興味を持っていただけることができました。
そして制作されたのがSpend My Lifeのミュージックビデオ。
Facebookには書いたと思うのですが、
ぼくはこの制作を通してとても大切なものを学びました。
そしてご本人はこんなふうに言ったら嫌がるかもしれませんが、
井野さんを心から尊敬しました。天才肌。
そんな言葉が似合う井野さんです。
そしておなじ世代で世界を目指している貴重な仲間でもあります。
尊敬した理由は、ものづくりへの心意気、愛情、犠牲、
多くの大事なものを僕は学ばせていただいたのです。
いいモノを作る人達には共通の性質があるのです。
そして彼らの作品がなぜそこまで人に響いたかも
とても納得がいったのです。
僕はその端くれにもならないかもしれないですが、
The Lightの制作で学んだこと、
それはとにかくいいモノを作ることだけをとことん最初に考えること。
予算の制約やその他いろいろな制約の中で作らなければいけないのは
あるのですが、制約を前提で作るのではなく、
いいモノを作るための最高の手順をまずは考えたうえで、
制約を越えてしまうようなアイデアや方法論を見出し、
いいモノをつくることありきですべてを考えていくこと。
この共通点は僕が付き合っているアメリカの音楽家たちに
とても多いような気がします。
それは気質的なものもあって、僕が知り得るアメリカの人の場合
金銭面やスケジュールが全部がざっくりではある代わりに、
とにかくいいモノに対してはストイックに創る。
Risingの制作はまさにそうだったのですが、
Brian Owensなど、納期や時間などもちろんある程度は
考えてくれますが、
「Naoki、これじゃいいものはできない、なんとかしてくれ」
という言葉を何度聞いたかわかりません笑
いいモノをつくるためには絶対妥協せずに、
自分の時間の犠牲などは気にせずに、とにかくそれを目指す。
The Lightの制作前、
僕は制作において前職の関係から
一つの癖になっていることがありました。
それはクライアントワーク。受託業。
お客さんの要望に合わせ、予算などを前程に
会社という決められた枠の中で
かっちりと物事を決めて、納品を目指す。
もちろんその予算内でいいモノをつくるということは
考えるのですが、もうとにかく最高のものが
どうやったらできるかという根本的なものづくりの姿勢というは
学べなかったような気がします。
提案はしてみるものの、
組織という性質上、”ある程度”のものを求めているので、
多くの個が犠牲を払ってまで、ハードワークをし、リスクを取る必要は
なくなってしまうのかもしれません。
お金があれば、時間があればもっとすごいもの作れるのにな
というモヤモヤみたいなものはいつも思っていたんですが、
実際、お金や時間がなくてもすごいモノを作ろうとする姿勢や
考えが足りなかったんだなと今では気づきます。
いいモノが生まれる瞬間は、チーム一人ひとりが主体的に
誰かのためではなく、自分のために動いていること。
そういう環境をつくりだせるのが優れたリーダーであり、
いうのは簡単ですが、なかなか実践されていることは少ないのです。
こういった癖が全く無い状態で
最高のモノづくりを当たり前にできるのが彼らであり、
前述した映像も、誰かに頼まれたのではなく、
自分たちが主体となって震災直後、
日本の魅力をどうにか見せたいということで、
自主的に作ったとたしか言っていたような気がします。
※トシヤさん、写真お借りいたしました!(京都にて)前から2番目が井野さんです。
augment5社と一緒に制作をして、
僕が印象的だったのはプロデューサーである井野さんが、
ディレクターの鈴木さんに常に最高の制作を環境をつくることを心がけていること。
前述したとおりプロデューサーの僕が
ブライアンになんとかしてくれ!と言われて奮起して
とにかく何とかするために頑張りましたが、
井野さんはそんなこと言われる前に、そういった環境を先回りして
ディレクターさんに与えられるような人です。
またとても尊敬していることが、
社長であり、プロデューサーである井野さんが現場の
インスピレーションをとても大事にしていること。
海外を飛び回って、とんでもないスケジュールの中でも、
僕達のような小さな案件でも、現場に立ってくださるのです。
※きっと現場が好きなんだとは思います笑
ビジネスを考えれば、従来は社長が現場になるべく出向かないことや
ハンズオンしてかないことが成功に繋がると考えがちですが、
もしかしたら、芸術に近いビジネスにおいてはそれは覆るかもしれません。
現代の最も成功した経営者の一人と呼ばれるスティーブ・ジョブズは
とにかくハンズオンだったともいます。
彼はぼくの回りにいる経営者のなかで最も優れた芸術的な感覚と
ビジネスのセンスに優れた人の一人だとおもいます。
augment5社のNaoへの心意気と、愛情と犠牲に心から敬意を表したいと思います。
さて今回のこの動画のコンセプトはInto the Light。
みなさんにはブログで丁度Nao Yoshiokaのアルバム最新作
Risingのライナーノーツをすこしずつ公開していますが、
このInto the LightはThe Light(かすかな光)から
まばゆいくらいに輝き出すRisingまでを
垣間見ていただけるショートドキュメンタリーです。
僕が込めたかったメッセージは、
もちろんNaoを多くの人に深く知ってほしい、
という思いもあったのですが、僕が考えていた根本は、
音楽を志す人々に、世界を目指すという道があることをつたえたい。
ということ。そしてそれを支える仕事も最高に魅力的であること。
Naoが単身でアメリカに渡るという、
部分はもちろん彼女だから出来たことではあると思います。
ただしその姿勢である
「自らを突き動かし、新しい一歩を踏み出すこと」
きっと誰ににもできるチャンスはあるはず。そんな小さい一歩の積み重ねが、
大きな変革へと変わるのだと、僕は信じています。
アメリカでの滞在もあと数日。
また成長した、Nao Yoshiokaをぜひ10月6日に再開する
Rising Japan Tour 2015にぜひお越しください!
http://www.sweetsoulrecords.com/rjt
今日は代官山LOOPで行われるRising Japan Tour 2015ツアーキックオフ前日です。
みなさんと明日、最高の音楽空間をご一緒できること、
心より楽しみにしております。
明日しかやらないスペシャルな曲も用意しております。
さて、前回に引き続き、今日はライナーノーツ第二弾
2 The Lightから Into the Lightへ
-新たなるフェーズへ、想像を超えた自分を描くこと
2014年、年始のNaoのコンセプト提出を受けて、
それをつき戻してから、僕なりにコンセプトをまとめ
要望を整理した企画書を起こしはじめます。
僕の方で形になったのは4月。
NaoはThe Lightリリース後は、Naoが変わりゆく人々の反応や、
日々の変化についていけず、迷い続ける2ヶ月を過ごします。
その間、アルバムの進捗は一切なし。
進捗が出てきたのは2014年3月13日。
ライフサウンドの創業日。
メモの出だしは
「今のNao Yoshioka3/10。不安と、自分の気持ちがすごく不安定です!」
という出だしでした。
※文章もわけわかんなく不安定だな、、と思うのです。
この提出は、迫り来るビルボードライブとブルーノート公演の
企画の提出と合わせて出してきた自分の状態を整理したものでした。
アルバムの部分を読み解くと、まだまだまとまってない様子。
しかしリリース直後よりはかなり整理されていたように思います。
音楽的にやりたいことや、コラボ相手のリクエストはきましたが、
肝心のコンセプトの抽出がない。
僕自身がNaoを引き上げたいレベルまでのものは
全く見れませんでした。
そう、僕の中ではなんとなくもうイメージができていました。
僕がみたかったメジャーデビューするNao Yoshiokaは
自信に満ち溢れ、人々に希望を見出してもらえるような
そんな生き様、メッセージをもった姿でした。
Make the ChangeをNaoが歌うことによって
ポジティブになり成長したように
現状の自分をアルバムで表現するのではなく、
自分の想像をちょっぴり越えた、なりたい自分を描くことを求めていました。
そして精神的にアルバムづくりに挑む新しいフェーズに行くことを望んでいたのです。
しかし・・・
2014年初旬、Nao Yoshiokaは
The Lightでデビューした環境の変化と
迫り来る、日本2大レストランベニューでの公演を前に戸惑い
硬直していたのです。それは2ヶ月くらい改善されず
スランプに陥りました。
改善されないこの状況を見計らって、
3月に僕の別件の仕事の都合に合わせて
Naoにデトックスをしてもらうために、
ニューヨークで落ち合うことにしました。
もちろんそこに急ピッチで公演を引っ掛けて。
はっきり言って、苦渋の決断です。
でもなんとかしないと、アルバムどころか公演までまずい状況でした。
原点回帰というか、ニューヨークで最高の音楽を吸収して
なんとか気持ちだけでも次のステージに押し上げたかったのです。
僕はこの旅でなんとかNaoをモチベートするために企画をしました。
ひとつはGordon Chambersに会わせること。
そして次期アルバムのコラボレーションを依頼すること。
そしてもう一つは、
ニューヨークのシーントップの音楽を見させること。
プラス何個か飛び入りやイベント出演など。
SOUL MIXER。
東京で出来たニューヨークでの友達のイベントに飛び入り。
見事に思惑通りとなり、
Naoは帰国する頃にはエンジンがかかっていました。
その勢いで、ビルボードそしてブルーノートと大舞台を堂々とクリアして行ったのです。
僕が4月の時点で用意していた企画書はこれでした。
微かな光を希望にしていたNaoから、自らが光の中へ、
と書いています。そして本音を言えば、
光を解き放つような存在へ。
以前の彼女のメモに書いてあった
I’m worth it.
という言葉で結局言ってることは、
私は完璧じゃない。人間ぽいところを認めたい。
自分は価値がある人間だ。(と認めたい)
というネガティブな視点からのスタートであり、
僕が求めていたのは、
過去があるから、今はこんなにできるよ!
という体験談ではなく、
最初から当たり前のように、
過去は関係なく、私には夢があり、希望があるという
絶対的にポジティブで強いメッセージを持って欲しかったのです。
そしてこんな形で、前作のフィードバックをしました。
かなり赤裸々ですね。
このようにドキュメンテーションを各箇所で丁寧に行い、
反省をしっかりとまとめチームに共有しました。
その大前提を作った上で、NAOに宿題を出しました。
自分で歌詞を書いて、毎週1〜2曲提出をしなさい。
実は以前から、歌詞を自分で書いてもらうことは話していました。
毎週提出をしてねと言ったのはこれが初めてじゃなかったのですが、
なんとなくながされつつ、5月のブルーノートのツアーが終了した後に、
真剣に、伝えたのです。
これは自分の意志を自分の言葉で伝えていくことをはじめなければ、
彼女の真のアーティスト性は見いだせないと判断したためです。
英語での作詞。しゃべることでもむずかしいのに、
この課題を出した時は本当にできるのか疑心暗鬼でした。
そして、、毎週ではなかったのですが、しっかりと歌詞は提出されました。
一生懸命努力をした形跡も見られ、文法とかはめちゃくちゃだったりするんですが、
中には光るものもあり、それをアメリカに渡る9月までみっちり行いました。
そしてアメリカへ渡ることになります。
アメリカに渡る話をする前に、ひとつ忘れてはいけない話があります。
音楽制作を進める一方で、僕はプロデューサーとして、
もう一つの大役を任されています。
それは資金繰りであり、このアルバムはメジャーレーベルである
YAMAHA MUSIC COMMUNICATIONS社(レコード会社)
とSWEET SOUL RECORDS(Nao Yoshiokaのマネージメント)の
共同制作プロジェクト。両者が出資をするプロジェクトです。
企画書通りのことを実現しようとすると、かなりの金額がかかるのです。
企画書を書いたのは自分なのですが、ドキドキしながら
- 世界中のアーティストとコラボ(グラミー受賞アーティストを含む)
- ツアーをさせながら、アーティストを成長させてレコーディング
- レコーディングはオランダとアメリカ
- 1曲を除いては、すべて生音でのレコーディング
- カバーは極力無くしオリジナル中心
といった企画内容を書いていきます。
ワクワクすればするほど、冷汗も出る出る笑
いったいどうしたら、僕らの経営状況でこんなキャッシュを用意できるんだ?
レコード会社は、ツアー/ライブにかかるお金はもちろん出しません。
僕たちマネージメントであるSWEET SOUL RECORDSが捻出をしなければいけません。
Naoのアメリカにおけるキャリアは本当に小さいもので、
マネージャーを連れて、飛行機代、ホテル代の捻出、
現地でバンドを雇って、リハーサルをして、、、などなど
話にならないレベル。。。
そして原盤を共有する場合には、その制作費を比率に応じて、
事務所であるSWEET SOUL RECORDSが出資する必要があります。
回収は何年か先。かつ、僕はプロデューサーであり
ライフサウンドという会社の代表として
その原盤の出資者であり、その制作にかかる自分への工数、
ツアーに出る約2ヶ月半、会社の他の業務ができなくなること、
時差をまたいで、現地の仕事と日本の仕事の同時並行することなど
頭の中は不可能でいっぱいになりました。
こんな中、みなさんに御願いをしたのが、
SOUL MUSIC FUNDINGでした。
”クラウド”という概念の既存のファンディングサービスをあえて使わず、
SOUL MUSICを愛する人々向けに作らせていただいたサービス。
なんと目標額を開始2日でクリア。
頭を悩ませていた、費用面を少し解決できました。
改めて本当にありがとうございます。
僕は以前から、Nao Yoshiokaの活躍は日本の夢である。
というキーワードを使っていました。
もちろんビジネスとしてしっかり成り立たせることを前提にやってはいますが、
僕自身が、Nao Yoshiokaの活躍を願っているファンでもあります。
そして、みなさんが同じ気持ちで出資をしてくださって、
その目に見えるもの以上にずっしりと重みのある価値を感じながら、
僕はこのプロジェクトを必ず成功へ導かなければいけないと心に誓いました。
この頃から「夢」というキーワードを、なんらかの形で
楽曲に使いたいと考えていました。
これはみなさんご存知の結果に繋がります。
それでは次回は9月のアメリカ渡米について綴ります。
改めまして、明日はRising Japan Tour 2015のキックオフパーティ。
僕達が積み上げたアルバムの歴史、そしてツアーでしか味わえない
特別なアレンジをぜひぜひぜひご一緒できればと思います!
SPREAD REAL MUSIC!
Nao Yoshiokaの2015年4月にリリースされたメジャーデビューアルバム
Rising のプロデューサーによるライナーノーツ第一弾。
テーマは「僕にとってのアルバム制作の本当の目的とは」
さて、Risingの企画はいつ始まっただろうか。
去年はいろんなことがありすぎて1年前のことをパッと思い出せませんでした。
だから企画書を作成した日付を調べてみます。
僕が企画書を実際起こし始めたのは2014年4月。
みなさんにはまだこの頃、Naoがメジャーデビューをすることは
公表していませんが、水面下でプロジェクトは進んでいました。
詳しくは:http://www.spreadrealmusic.com/column/nao-yoshioka_major-debut/
リリースするのはYAMAHA MUSIC COMMUNICATIONSから。
彼らは日本のメジャーレーベルの良心。
Nao Yoshiokaのみならず、僕らSWEET SOUL RECORDSを全面的に
理解し、応援してくれた素晴らしいレーベルです。
彼らに企画を説明するために資料を入念に作りました。
計20ページ程度。一部お見せします。
まだ提出前のラフの目次。
実際The Lightの制作は2013年11月に発売する
かなり前に終わっていたため、その反省も含めて
2013年末には、なんとなく次期アルバムの話を始めていたのを思い出しました。
Naoには年末時点で、お正月時間あるから考え始めてね!という課題を出し、
2014年に相変わらず変わった字体のメモを披露されます。
※個人的には味があって好きになってきているけど、
漢字はちゃんと書けよと思ったりしています。
こんなメモを、20ページくらい持ってきます。
そしていつも打ち合わせをする、カフェでさらっと目を通しはじめました。
Naoは素晴らしい感覚の持ち主でいつもそこには尊敬させられます。
伝え方は下手ですが、素晴らしい材料であり
僕はその真意をしっかりと読み解いてまとめて、
企画書に反映していきます。
彼女と常に一緒に考えそれをチームにシェアをすることや、
時には突き戻すのが僕の役割。
2ページ目くらいに差し掛かった時にまず最初の一言
「やり直し。」
やり直しの理由はこの画像にあります。
I’m worth it. = 自分には価値がある(と信じたい)
というキーワードを見て、メジャーデビューアルバムで、
来年のリリースでまだそんなメッセージでやっていたら、
「いつまでたっても自分本位で、ネガティブなままだよ」
と一蹴したのです。
The Lightをリリースしてまだ2ヶ月。
アルバムデビューして間もない頃のNaoはまだまだ
自信に溢れるという状態でもなく、本人曰く
「やっと自分のことを人間だと思えた」
という感覚を持っていたそうです。
※まだまだ表情が幼いとおもいませんか?
The Light制作前の彼女を思い出すと、
今からは想像できないような状態でした。
僕が毎日オフィスでの仕事を終えて、家に帰り作業をしつつ
毎晩のように最低2時間はスカイプでチャットを
深夜までしていたような気がします。
そのおかげで、眠い毎日を過ごしました。
見た目からは最初は全くわかりませんでしたが、
出会った時点で、素晴らしい実力を持っていたにもかかわらず、
心底自信がなく、彼女は当時、正直不安定だったと思います。
自分が信じることをやりたい!と強く思うも
周りの目をとにかく気にして、怯えていたとおもいます。
ニューヨークから帰ってきて散々な目にあって
心が擦り切れていたんだと思います。
きっと周りから否定されたり、
自分が周りと違うことがすごい嫌だったんだと思います。
その気持は実はぼくはなんとなくわかりました。
アーティストという仕事は社長に近い仕事でもあるなと思うのです。
いろいろな側面で近いと思うのです。
とても孤独で、周りから言われる雑音をしっかりと精査し、
ぶれずに自分を貫くという点でも
最後に責任は自分が取らなければいけない。
「ぶれるべきではない」
という点でアーティストは優れたリーダーである必要があるかもしれません。
僕の辞書にある優れたリーダーとは
自ら実力を発揮し、人々をモチベートできる牽引型。
常にビジョンを見据え自分が目指す方向を見失ってはいけない。
ファンが多くなれば多くなるほど、自分の信じる道を明確に示して、
嘘なく突き進まなければいけない。
自分が何をやればいいかわからなくなった彼女の
10代のトラウマを考えると、この課題は非常に大きいものでした。
彼女の場合、自分の信念があるにもかかわらず、
人の言うことに耳を傾けすぎてしまい、
自分の考えとのギャップに苦しみ始める。
以前も話しましたが、フィルターが全くといっていいほどないのです。
フィルターがないということは、
人に言われたことを全部受け止めなんとかしようとするということです。
幼少期友達や近い人々に言われたことで傷付いたこと、
不安だったことがみなさんにもありませんでしたか?
コミュニケーションは時に助言にもなり時に中傷ともなりえます。
僕たちは大人になるにつれて様々なフィルターを手に入れます。
フィルターというのは、自己防衛機能とも呼べるでしょう。
「自信」もその一つだと僕は言えると思います。
人に何を言われても別に俺には関係ないなとなっていくわけです。
防御力が上がっていくのですが、
Naoの場合は防御力ゼロなのです。
これが彼女の最強の強みであり、最大の弱点でもあります。
マネージメントを始めて間もない頃、僕が常に彼女に伝えていたのは
「2年後は絶対君は変わってる。大丈夫。」
ということでした。
ご存知の通りアーティストの実力と
世間からの評価は常に比例するものではありません。
時間をかけて自ら、もしくは誰かがそれを
説明し、証明しなければいけません。
Nao Yoshiokaと出会う前に、
約3年間という少ないアーティストマネージメントの経験ながら
十分に学べたアーティストの成長のすごさ。
経験が自信となり、アーティストを支える糧となることを
僕は知っていたのです。
その最大の成長を促すことができるのは、アルバムの制作なのです。
だからこのプロジェクトの僕にとっての最大の成功の定義は、
彼女の人間的な成長に立ち会い、それを好転させること。
音楽を通して、彼女の成長を正しく促していく。
僕はアーティストの力を信じています。
彼らの最大限を嘘なく発揮させてこそ
真の成功がそこにあると強く感じるからです。
この真の意図を理解していただけると、
今まで僕がとってきた公演の理由、ステップなど
理解していただきやすいかもしれません。
一つ一つ考えて、アーティストの成長に合わせて
綿密に考えてキャリアをつくっているのです。
近年、アルバムの意味や価値がデジタルの単曲購買が増え
薄れてきています。アーティストの中にはシングルを出し
それでジャッジをされ、終わってしまう人もいるようです。
自分のアーティスト性を整理し、今の自分を表現し、記録する。
そうして制作を通して更に成長し、次のステージに。
常に進化し続けるアーティストの工程としてアルバム制作は非常に重要な工程なのです。
思えばデビュー当時にもこんなことを言っていました。
アルバム制作において自分が大事だと思っていることは
Nao Yoshiokaという一人のアーティストが人間として成長をして、
彼女の感じることを表現するための一番いい方法を提案し続けること。
こうして前作のThe Light同様、コンセプトを重視して企画が進行していくのです。
それでは次回、The LightからInto the lightへ。
次回は、代官山LOOPで行われるRising Japan Tour 2015のKick Offの直前
9/10に公開いたします!
是非皆さんキックオフにお越しください!
Let’s SPREAD REAL MUSIC
ツアーを目の前にして
ずっと温めていたライナーノーツを
少しずつ公開しようと思います。
こんなに内情を赤裸々に明かすプロデューサーは
かつていなかったのではないかと思います。
厳しい音楽時代だからこそ見て欲しい
僕たちの生き様を素直に綴ろうと思います。
賛否両論あるかもしれないですが、
このアルバムができた経緯や込められた思いを
存分に感じた上で、是非ツアーに来ていただけると幸いです。
予告編として、どんな内容で書いていくかアウトラインを
少しご覧いただければ嬉しいです。
[序章]
1 プロデューサー山内にとってのアルバム制作の真意
Nao Yoshiokaの最大の武器と最大の弱点
2 The Lightから Into the Lightへ
-新たなるフェーズへ、想像を超えた自分を描くこと
[アメリカ編]
3 アメリカでの悪夢 : 地獄のライティングセッションと天国のレコーディング
4 アメリカでの悪夢その2:ゴードンチェンバーズ
グラミー受賞アーティストとの戦いと自分の役割への疑い
[オランダ編]
5 チャンスに導かれるという発想
自分を本当に信じさせてくれた人々
[東京編]
6 音信不通
責任をとるということ、東京での徹夜の日々
7 Rising
夢の序章は完結する
Nao Yoshioka Rising Japan Tour 2015のツアーファイナルに向けて、少しずつ濃く深くRisingについて綴っていきます。
それではツアーに向けて
SPREAD REAL MUSIC
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