ついに最終回。ライブ当日の話を写真を多めにじっくり
ご堪能ください。
前回までのレポートはこちら
Vol.2: http://www.spreadrealmusic.com/column/2016capitaljazz2/
Vol.1: http://www.spreadrealmusic.com/column/2016capjazz1/
振り返ってみてなんですが、
自分の記憶が少し薄れるくらいの仕事量の多さでした。
頭の中はいろんなことでいっぱい。
シャトルでホテルから会場に向かう途中ですが
写真も設定をちゃんとせず、飛び飛び、ぶれぶれです。。
吉岡くんは笑顔を振りまきつつも、
緊張を隠しきれない様子。
約束の2時間前にはきっちりと到着。
サウンドチェックは基本なしと言われていました。
しかしトップバッターであり、開場前ということもあって、たっぷり時間が!
これは嬉しいサプライズでした。
開場直後でのサウンドチェック。まだ人は来ていませんが、
屋内席の後ろに無数のパラソルがあるのがわかるでしょうか。
席を取るために早くから芝生にオーディエンスたちがぎっしりと詰め寄せています。
日本のフェスティバルは時間にかなりタイトで、
少しでも押したり、出演時間が遅れたりすると、
出演時間が減ってまう。
契約書には時間が過ぎたら罰金の項目もありました。
ライダーというアーティストの出演条件みたいのを
運営側と共有するんですが、
開場に行ってみると、ないものが多く
ゲットするために走り回りました。
そんなプレッシャーもあり、カメラクルーなどの
準備も考えてすこしピリッとしつつも、
なんとか平常心を保ちつつ
本番直前まで楽器の手配やその他の調整で
バタバタとしている中、時間が刻々と迫りました。
そしてフェスティバルのスタッフから
ステージ裏から僕達がいるトレーラーでできた、控室に。
成功祈願!
遂に声がかかります。
控室から、ステージ裏に。
僕達の向かうステージは、メリウェザーポストパヴィリオン。
キャピタルで最も大きなステージです。
ステージ裏と控室は徒歩2分。
バンドはステージに。
例年からの情報があった通り、やはりトップバッター、
この時点でのお客さんは満席ではありませんでしたが、
屋外屋内足したとしても、数千というかなりのオーディエンス数。。
公演途中にどんどんと増えていきました。
迫力十分です。
そしてコメディアンのホストがジョークまじりに
ステージでMCを始めます。そして紹介が終わりミュージシャンスタンバイと同時に
MCがステージを去ります。
ステージ脇。Naoをしっかり送り出してショーが始まります。
この瞬間にかけてきた
この瞬間に掛けてきました。
オファーがあった2015年の年末。
それまで条件の調整を何度も何度も繰り返し、
助成金の申請、渡米の手配、リハーサル手配、
セットリストの調整など、このたった45分のために、
膨大な時間と労力を注ぎ込んできました。
ショーの途中僕は忙しくしつつも、
瞬間瞬間をシャッターで切り取りつつ、
頭をよぎったのは3年前、ウィルミントンの初めてのショー。
Nao Yoshiokaはアメリカで常識を覆す。
2013年のデビュー前からアメリカ遠征をしてきました。
正直な話、海外渡航代がかかってスタートする海外ツアーは全く割に合いません。
でも僕たちはそれ以上にこれをすることに意味を感じていました。
彼女の才能は日本だけでとどまるものではない。
これから夢を見るアーティストたちのためにも
僕達が率先して後の世代に見せていくためにも
日本だけにとどめてはいけない。
旅の中にはプロモーションがうまくいかず
5人くらいしか集まらないショーもありました。
ミュージシャンがちゃんと曲を覚えてこない、当日現れない。
ドレスルームがなくて事務所で着替えなければいけない
あるはずの音楽機材がない。
列車で荷物が多すぎて足止めを食らったり、
旅をするにも教科書通りにいかないことばかりでした。
その経験を活かし、様々な配慮をして入念に挑んだこの日。
2年間、渡航を何度も続けやっと勝ち取ったこのショーなのです。
ついに45分間のショーがスタート
そんな大切な大切なショー。
ドラマーのトレの合図でイントロが始まります!
BVのドウェインがNao Yoshiokaの呼び込みます。
「Ladies and gentlemen, all the way from Japan,
put you hands together for NAO YOSHIOKA」
イントロ後Forget about Itから楽曲が始まります。
ショーが始まる頃には、どんどんと人が着席しています。
たまらずステージ裏からステージ側に駆けつけます。
そして、、
初出演、スタンディングオベーション
僕にとってはあっという間の45分。
満足できない部分は多少あったものの
手応えは間違いないものでした。
自分自身感動する場面さえありました。
Nao Yoshiokaはここアメリカで何千という人たち、
もしかしたら万という人たちの前で
いつもと全く変わらない実力を出しきり、
堂々とセットを歌い上げました。
そして強く感じたことがあります。
僕たちは完全に受け入れられたということ。
反響は明らかで曲中の見せ場に対する大きな歓声、
そして最期の曲の後には、スタンディングオベーション。
アメリカフェスの初参加としては間違いなく大成功と言えるショーとなりました。
その後会場を歩くとショー当日も次の日も一歩進むたびに
Naoは呼びとめられ握手と写真撮影を求められ、
最高のお褒めの言葉を多く頂くことができました。
こんなのはじめてだった。
数えきれないほどの賞賛の声。
最初に掲げた目標。
「日本と世界で活躍できるアーティストになる」
彼女ほどのボーカリストとしての実力があれば
別軸の成功を考えたら、
もっと認知を得るためには簡単な道はあったかもしれない。
しかし、彼女の目指す道を実現するために、
僕たちは時には普通の考えではありえないような判断もしてきました。
そうした判断をするたびに、離れていく人もいました。
その度に果たして自分は正しいのかと自問自答していました。
でも僕はこのフェスティバルのおかげで感じたのです。
間違ってなかった。
正しいことというのは、なかなか突き通すのが難しい。
行動で見せて見せて、さらに見せて結果が出るまでは、
なかなか人はついてきてくれません。
でも正しく続けることで、ちゃんと見てくれる人はいる。
それがMake the Change Projectのみなさんであり、
SWEET SOUL RECORDSを愛してくださるみなさんであり
Nao Yoshiokaのファンのみなさんです。
そしてフェスティバルの実績はアメリカでは一切ない、
認知度も対してないNaoを選んだCapital Jazz Festのオーナーも
その一人と言えるでしょう。
僕たちは前人未到のアメリカのソウルミュージックの市場を
また一歩大きく切り開いたのです。
僕が何よりも嬉しいことは、0を1にしたということ。
ゼロだった可能性を1にしたこと。
きっとこれからアーティストを目指す人々が
私でもできるかもしれない!と思ってくれるかもしれない。
僕らのようにアーティストを信じ一緒に行動する人が増えるかもしれない。
そしてそう思っていくれてる人に自信をもってこう伝えたい。
自分の信じることを突き通すのは簡単じゃない
でも続けた人だけに、チャンスは訪れるのだと。
このブログのシリーズの冒頭にもお伝えしたのですが、
ステージで起こった事実を、感動をみなさんにお伝えしたい。
そして多くの人にお伝えしたい。
そのために、クラウドファンディングをしています。
この旅で多くをまた吸収しました。
僕自身、そしてもちろんNao Yoshioka、
そしてSWEET SOUL RECORDSをはじめとする僕らのチームので
このツアーを経て学んできたことをライブで披露したいと思います。
6/28には東京、6/30日は大阪の会場でお会いできることを
楽しみにしております。
最後に改めて支えてくださってるみなさんに
お礼をここで。
支えてくれてくださる皆様、本当にありがとうございます。
これからも責任を持って、日本の輝く才能を世界に。
そして世界から素晴らしい音楽を日本に。
僕らは続けていこうと思います。
それでは
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