久しぶりの更新です。ライブが増えてきて、みなさんに会うたびにブログ更新してくれないんですか?という話をいただくので、とても心苦しいのですが、ここ2年くらいはなぜかすぐに書く気にはなれず、SNSでさえ更新ができなかったように思います。ただ今回はまた重要な節目だと感じたのでこうしてブログで皆さんにお伝えすることを選びました。こうして自然と文章が出てくることが嬉しいです。
ブログを細々と節目では更新していたと思うのですが、その流れを掴んでいただくために、こちらの過去記事をご覧いただければと思います。
2024年可能性に満ち溢れたNao Yoshiokaの展望を語る

Naoがパンデミックの影響で帰国してからの5年間、アメリカでの公演に向けたオファーはあったものの、VISA取得や渡航の制約により実現には至りませんでした。しかし、その間Naoは地道にステージでの経験を積み重ね、世界中で磨き上げたパフォーマンスを、このたびついにアメリカで披露することができました。
それでも世界に希望がある -Nao Yoshiokaイギリス・オランダ遠征レポート2022-
その姿は、まさに長い旅路の結晶が揺るぎなく輝き、光が解き放たれるような感覚でした。その感覚に至るまでの2週間を凝縮してお伝えします。
フィリーから始まりNYCへ、最終地点アナポリスまで

今回のアメリカツアーは、僕たちにとって初めての東海岸でのソロツアー。各所での単独ショーはあったもののここまでしっかりと3箇所が予定されてツアーをすることは過去はありませんでした。
旅の初期から過酷なスケジュールを組むざるを得ず、1月6日始業をしてオーバーナイト便で羽田からJFKに飛び翌日のフィラデルフィアでのリハーサルに備えて、空港到着直後にレンタルカーで移動しました。フィラデルフィアは極寒、道中では雪にも見舞われ、東京とは打って変わって過酷な状況でした。フライトが遅れたため、結局フィラデルフィアについたのは深夜2時。
翌日のフィラデルフィアでのリハーサルでは、10年前にDai Miyazakiさんが紹介してくれたフィリーの最高のミュージシャン、TreとJayと再会。スタジオは往年のフィリーソウルの名曲がレコーディングされた元シグマスタジオの一部として残っているタートルスタジオを使いました。このスタジオには思い出がたくさん。思い返せばボルチモアで行われたフェスティバル、Capital Jazz Fest時に初めて使って、Undeniableの制作時にも確か訪れたことを覚えています。JayとTreとはCapital Jazz以来と考えると、もう出会って10年以上が経つことに驚きを覚えます。JayはEric Robersonとの日本での共演でも来日したことがありましたね!
そして、今回から参加してくれたMDのIrvin Washingtonがプロダクションにさらなる洗練をもたらしてくれました。彼はJ. ColeやJazmine SullivanのMDを務めるなど、フィリーを代表するミュージシャンの一人です。彼らとのリハーサルの日々は、懐かしい感覚と久々に体感するフィリーサウンドで心が躍りました。

ツアー初日のWinter Jazz FestivalはNYCの風物詩と呼ばれ、世界中から注目されているアーティストとブッカーたちが集まる由緒正しいJazz Festival。ニューヨークそしてブルックリンの複数のベニューで開催をされるのですが、僕たちの公演はマンハッタンにあるCity Wineryというベニューでした。。フェスティバルのため、普段は2-3時間あるリハーサルやサウンドチェックが、わずか25分の短いチェンジオーバーとなりましたが、安定したライブをNYCの辛口オーディエンスに披露することができました。

サプライズで駆けつけてくれたNaoのブッキングエージェンシーのMaria Matiasのサポートもあり、この公演をきっかけに新たなライブやフェスティバルのオファーを獲得できました。この公演を実現してくれたUKのNaoのマネージメントチームのCarlyに心から感謝しています。

そして2公演目のフィラデルフィアのCity Wineryでは、わざわざ車で6時間かかるオハイオから訪れてくれたファンや地元のサポーターに加え、Neo-Soul界の巨匠Eric Robersonがスペシャルゲストとして参加してくれたことも、大きな励みとなりました。

フィラデルフィアに本当に特別な思い入れがあります。初のUSツアーで訪れたこともありますが、その時代から積み上げた人との繋がりが大きく、Daiさんをはじめとした世界有数の素晴らしいミュージシャンたちの長年の交流でホームにも感じますし、フィリーソウルやネオソウルの生まれた場所としての音楽的なリスペクトに加え、この街の持っているCity of Brotherly Loveという精神に惚れています。

最近はビラルのTiny Desk ConcertがYouTubeで公開されていましたが、このビラルもフィリー出身って知っていましたか?このビデオでもフィリーのミュージシャンがたくさんいます。Flowに収録されていたAnywhere Anytimeで一緒にCo-ProduceをさせてもらったCoreyやPhilly Soul Sessionsにも参加してくれて、フィリーのライブ当日にも遊びにくれたベースのToneや、とんでもない才能を持つギタリストSimonはフィリー在住のミュージシャンです。。それ以外はNYやDCなど豪華なメンバーでBIGYUKIでお馴染みのRandyも参加してましたね。
そんなこともあってフィラデルフィアでのライブ・滞在はとても充実したものになりました。ライブとは別途レコーディングと撮影プロジェクトも行い、あっという間に最終拠点のアナポリスに向かうことになります。

ツアー最終公演の舞台となったRams Head on Stageはメリーランド州のアナポリスに位置し、首都であるワシントンD.C.近郊の拠点の一つです。壁にはハービー・ハンコックなどのJazzの名手からコリーヌ・ベイリー・レイなど幅広いアーティストの写真が飾られ、ステージと観客も近く約300人ほどのレストランベニューです。とてもオーラがあるベニューで、数々のアーティスト達がここでブレイクをしていったという話をマリアから聞いていました。

今回のツアーでは一番大きい規模のベニューとなり、実は集客において、不安要素が多かった場所だったのですが、蓋を開けてみれば完売に近く、会場は多くのオーディエンスが来場し、活気に満ち溢れていました。リハーサル、レコーディング、公演を経て、バンド全員の息がしっかりと揃い、楽曲たちが完全にミュージシャンに浸透したこともあり、この最終公演はオーディエンスもバンドも全ての条件が揃った最高の公演となりました。
公演はアンコールまでオーディエンスの熱気が消えず、大成功。ツアーファイナルということもありNaoがステージに僕も呼んでくれて小っ恥ずかしくはありましたが、カーテンコールに参加させていただきました。
ライブ中は観客の温かい拍手と笑顔に包まれるNaoを見ながら、僕自身も大きな達成感を感じました。この5年間、僕たちは時間をかけて準備を重ね、いまこそアメリカ全土を熱狂させるための準備が整ったと確信できた瞬間でした。
DCエリアが特に盛況だった要因は終演後のファンとのコミュニケーションを通してわかりました。公演中には多くのファンがNaoの楽曲を一緒に口ずさんでいることに驚きを覚えたのですが、終演後のミートアンドグリートは長蛇の列。10年前のキャピタルジャズフェスでNaoを見た人、バイラルしたYouTubeを見た人、Instagramを見た人、SWEET SOUL RECORDSのファン、Spotifyで発見した人など色とりどりでしたが、全ての過去に積み上げ施策が細かく集まって成形されていたことを実感し、今までのハードワークが実ったような感覚になりました。今までの努力は本当に無駄じゃなかったなと。
13年かけて築いてきたものとは
ソーシャルメディアの力で一夜にして注目され、世界を巡るアーティストもいますが、僕たちのように13年という時間をかけて実績を積み上げ、ようやくその扉を開けるケースもあります。一夜で夢が叶うことには羨ましさもありますが、長い時間をかけたからこそ得られたものが僕たちにはあります。それは、蓄積された知識、深く結ばれた人脈、そしてどんな困難にも立ち向かうレジリエンス。最高のバンドメンバー、信頼できるブッキングエージェンシー、ビデオクルー、そして会場に足を運んでくれた友人やファンたち。このツアーを通して築いてきた時間や関係性は、僕たちの本当の財産です。このショーとソロツアーを通して、USにおける準備が整った感覚がありました。
13年前、アメリカのウィルミントンでBrian Owensのオープニングアクトとして初めてこの地に立ったとき、僕は手にしたカメラのファインダー越しに「ここには可能性がある」と感じました。その直感が間違いではなかったことを、今回のツアーで改めて実感しました。
アメリカの厳しさとそこにかける思い

アメリカは、Nao Yoshiokaのプロジェクト初期から常に最優先の目標でした。日本やヨーロッパ、アジアでの活動が広がる中でも、その思いが揺らぐことは一度もありませんでした。それは単なる目標ではなく、音楽を通じて挑戦し続ける意志の象徴でもあります。
しかし、アメリカへの挑戦は決して簡単なものではありません。そのハードルは他の地域とは比べものにならないほど高いものです。公演を実現するためには、ヨーロッパとは異なり、VISA取得に膨大な時間とコストが必要です。それぞれのコミュニティも鉄壁のように堅く、その輪に入り信頼を築くまでには多大な努力を要します。さらに、パンデミック以降、為替の影響などで経済的な負担が増し、その壁はより高くそびえ立つように感じます。
それでもなぜ、私たちはあえてその壁に挑み続けてきたのか。それはやはり、ソウルミュージックの本場でその真髄を届けたいという情熱にほかなりません。本場での挑戦には、未知の扉を開くような大きな魅力があります。そして何より、アメリカには圧倒的な可能性がある。デビュー曲「Make the Change」がワシントンDCのラジオで突如オンエアされたあの瞬間から、私たちはこの国に「呼ばれている」と感じてきました。私たちの音楽がこの地で受け入れられる可能性を、確信をもって信じているのです。
アメリカはただ憧れの場所ではありません。挑戦するたびに自分たちの限界を押し広げてくれる特別な舞台であり、その厳しさは同時に、音楽と真剣に向き合う私たちにとっての試金石でもあります。この国での挑戦を通して得られるものは、私たちにとって何ものにも代えがたい価値です。そして、この挑戦がNao Yoshiokaの音楽を、そしてそのメッセージをさらに多くの人々へ届ける大きな一歩となると信じています。
Nao Yoshiokaのショーはここ数年で圧倒的に変化を遂げたと自信を持っていえます。世界で経験を重ねた確固たる自信。US滞在時はエリック・ロバーソンのオープニングアクトとして、単独でツアー帯同をし、物販まで自分でこなしていました。そしてパンデミック中も世界への挑戦を諦めず、ヨーロッパアジアを開拓し、ここまで辿り着いた彼女はソウルミュージックの本場アメリカでも、別のアーティストに全く引けを取らないアーティストとして、変化を遂げたのです。
今回出会ったブッカーやファンたちと交わした会話の中で、彼らが口にしたのは、「Naoのストーリーと彼女が奏でるポジティブなメッセージは、この世界に必要だ」ということ。その言葉に深く共感し、ソウルミュージックの真髄はまさにそこにあると感じました。単なるかっこよさや流行を追い求める音楽ではなく、自分自身のストーリーを語り、リアルな人間味を音楽で表現できるようになったNao Yoshiokaを、僕は心から誇りに思います。

そして、次なるアメリカでの挑戦は6月。今回のツアーで得た新たな繋がりやご縁を大切にしながら、さらなる成長を目指して進んでいきます。アメリカそしてその先に広がる世界へ。これからの展開にどうぞご期待ください。