「self」プロデューサーズライナーノーツ VOL.3 『Yet to Come』—叶わなかったコラボレーションが教えてくれたこと

今回のアルバム制作で、僕の心に最も深く残った出来事があります。

『Yet to Come』という曲をめぐる話です。(この曲の制作クレジットについては、次回のVOL.4で詳しく紹介する予定なので、ここでは制作の過程で起きたことと、そこから見えてきたものを残しておきます。)

『Yet to Come』という曲が生まれた経緯

『Yet to Come』の原型が生まれたのは、前作『Flow』の制作時でした。最初にあったのは明確なコンセプトではなく、フルートとストリングスで始まる印象的なイントロを軸にした、とてもラフな楽曲のアイデアでした。

当時の『Flow』とは雰囲気もサウンドコンセプトも少し異なっていましたが、強く印象に残る曲でした。「次のアルバムには収録したい」と思い、今回の制作で改めて向き合うことになりました。

『Flow』では、よりモダンなサウンドを追求していました。一方、今回のアルバムでは、Nao Yoshiokaの感情の原点や音楽的ルーツに、もう一度立ち返ってもいいのではないか。まだはっきりと言葉にはできませんでしたが、僕の中には、より深いソウルネスを求める思いがありました。『Yet to Come』には、Stevie Wonderの楽曲を思わせるような哀愁があり、そこに僕は心を動かされたのだと思います。

Naoがこの曲に込めたのは、「最高の瞬間は、まだこれからやってくる」というメッセージです。『Flow』とそのワールドツアーを経て、ようやく自分のキャリアのスタートラインに立てたという彼女自身の感覚が、その言葉には重なっています。生きている限り、最高の瞬間はこの先に待っている。そんな前向きな思いを込めた曲です。

セカンドバースを託したかった人

当初、この曲には一人の海外アーティストを迎える構想がありました。アメリカを代表する著名なソウルシンガーで、僕らにとってはまさに夢のコラボレーション。何年も前から、いつか一緒に作品を作りたいアーティストのリストに名前を挙げていた人です。その可能性が見えたとき、僕らは胸を躍らせました。

Naoが彼に参加を依頼したいと考えたのには、確かな理由とストーリーがありました。

彼の歩みは、決して順風満帆なものではありませんでした。サイドマンとして活動するかたわら、自身の作品を発表し続け、4作目でようやく大きな注目を集めました。そして、その作品はグラミー賞にノミネートされました。

ニューオリンズで一緒に時間を過ごしたとき、彼は「このアルバムが駄目だったら、もうソロ活動はやめようと思っていた」と話してくれました。インディペンデントアーティストが、自分の音楽だけで生計を立てながら活動を続けていけるケースは、ほんの一握りです。その道を歩み、成功をつかんだ彼だからこそ歌える思いがある。僕らは、そんな彼にこの曲のセカンドバースを託したいと考えていました。

2021年、単身でニューヨークに渡っていたNaoは、彼のソロライブを観に行きました。キャリアを切り拓くために滞在していたニューヨークで、孤独を抱えながら日々を過ごしていたNaoにとって、彼のライブは大きな救いだったそうです。

Nao Yoshioka

幸運にも、これまでのキャリアで築いてきた縁がつながり、ニューオリンズで彼に会う機会を得ました。僕らは本人に思いを伝えるため現地へ向かい、直接プレゼンテーションをしました。そして、その場でコラボレーションを快諾してもらったのです。

実現しなかったコラボレーション

話が決まった時点で、僕らの心のどこかには、こんな期待があったのだと思います。

「この人とコラボレーションできれば、グラミーも夢じゃない」

ところが、制作を進めるなかで状況が変わっていきました。僕が「できる限り完璧な状態で届けたい」とこだわるあまり、音源を渡す時期が当初の約束より少し後ろへずれてしまったのです。その間に彼のスケジュールは埋まり、参加できるかどうかがわからない状態になりました。

ツアースケジュールを見ると、数カ月先まで公演がびっしりと並び、わずかな余白もないことが伝わってきました。それでも彼のマネージャーは、実現に向けて何度も調整を重ねてくれました。お互いに最後まで可能性を探りましたが、最終的に今回は見送ることになりました。

レーベルスタッフとして、そしてアルバムプロデューサーとして、僕はこのコラボレーションが今回のアルバムの大きな目玉になり得ると思っていました。Naoにとって彼は、ニューヨークでつらい時期を過ごしていた自分を音楽で支えてくれた、憧れのアーティストでもありました。

コラボレーションが実現しないとわかったとき、僕らの落胆はとても大きなものでした。しかし、その失望のなかで、同時に気づいたことがありました。

僕らは彼と音楽を作ることだけでなく、彼の名前が作品にもたらす「価値」にまで期待していたのではないか。

僕にとってもNaoにとっても、正直なところ、これは苦い気づきでした。でも同時に、とても大切な気づきでもありました。

有名なアーティストと組めば、それだけで作品の価値が上がる。そんな考え方からは、本当のコラボレーションは生まれない。

僕らはこれまで、大きな後ろ盾のないところから、自分たちの力で一歩ずつキャリアを積み上げてきました。その歩みがあったからこそ、今回の機会にもたどり着けたはずです。誰かの名前に作品の価値を委ねるのではなく、自分たち自身がさらに成長し、互いの表現を尊重できる場所で向き合うこと。その先にこそ、僕らが目指すコラボレーションがあるのだと思います。

本当にいい作品は、互いをリスペクトし合える対等な関係からしか生まれない。

その気づきをきっかけに、Naoはコラボレーターのために空けていた『Yet to Come』のセカンドバースを、自らの言葉で書き上げました。その16小節には、この一連の出来事から生まれた思いが、そのままメッセージとして刻まれています。

I lost my faith in who I was
Chased the light in other eyes
Hid myself, walked away
Longed to be someone else

I still held the truth unseen
I know the light was always mine to keep
Lit me up from within
Now I sing and stand free

自分を信じる心をなくし
誰かの瞳に宿る光を追いかけた
本当の私を隠して 背を向けて
私ではない誰かになろうとしていた

それでも胸の奥深く
まだ見えない真実は息づいていた
探し続けた光は 初めから
ずっと私の中にあった
その光が 内側から私を照らし出す
今、私は歌う
ありのままの私で 自由に立つ

誰かの名前に作品の価値を委ねるのではなく、自分の言葉で、自分たちの手で、この曲を完成させる。そのプロセス自体が、今回のアルバム全体を象徴する出来事になったと思っています。

「もっと全部出していい」

この曲のレコーディングには、もう一つ忘れられない瞬間があります。

『Yet to Come』の終盤に収められた、Naoのアドリブです。

『The Truth』以降、僕はNaoに「歌いすぎない」ことを意識してもらってきました。いわゆる「Less is more」という発想です。

ゴスペルとソウルミュージックをバックグラウンドに持つNaoは、デビュー当時、感情を前面に押し出すために、ボーカルランやアドリブを多用していました。そこから時間をかけ、メッセージや楽曲に合わせてさまざまな感情を描けるように、Naoは色とりどりの声を自分のものにしてきました。

『The Truth』をリリースしたとき、音楽レビューで「力が抜け、より自然に歌うようになった」と評されたことを思い出します。近年の作品では、そうしたスタイルが評価される場面も多くありました。

でも、この曲のラストにあるアドリブを録っていたとき、僕はブースの向こうにいるNaoにこう伝えました。

「もっと全部出していい。」
「思い切り歌っていい。」

そこから返ってきた歌声を聴いて、僕は改めて感じました。

Naoは、やっぱりソウルシンガーなんだ。

スタイリッシュに、クールに見せることよりも、心の叫びをすべてぶつけること。

それこそがNao Yoshiokaらしさなのだと、あの瞬間に改めて確かめられた気がしています。

かっこよさの再定義

今回の制作を通して、僕の中にある「かっこよさ」の定義が、はっきりと変わりました。

完璧であること。余裕があること。スマートに見えること。世の中では、そういうものがおしゃれで、かっこいいとされることが多い。

でも、今の僕はその逆だと思っています。

がむしゃらに挑戦する人。不器用でも一生懸命な人。必死に何かを表現しようとする人。そんな人のほうが、ずっと美しく、かっこいい。

少し不器用でも、自分を偽らないこと。それがNao Yoshiokaの魅力だ。

『Yet to Come』のあのアドリブは、その価値観が最も鮮やかに表れた瞬間でした。自分のすべてを作品に込めること。それが、このアルバム『self』の本質でもあると思っています。

そして、この気づきは音楽だけの話ではありません。

最近、作品をつくるとき、空間をつくるとき、事業をつくるとき、「何かを生み出すうえで、本当に大切なものは何だろう」と考えることがあります。能力や経験は、もちろん大切です。でも、それだけでは新しいものは生まれない。自分自身はもちろん、関わる人たちが心から情熱を注いでくれること。それは決して当たり前ではなく、何ものにも代えがたいことだと思います。

どれほど優れた人が集まっても、そこに熱がなければ、チームも作品もやがて停滞してしまう。今あるものを守るだけでなく、新しい壁に挑み、さらに高い場所へ進んでいくためには、技術や正しさと同じくらい、心の熱を大切にしなければならない。

「最高の瞬間は、まだこれからやってくる。」

そう信じることが、心の熱を絶やさず、次の一歩を踏み出し続ける力になるのかもしれません。『Yet to Come』は、そんなことを僕ら自身に教えてくれた曲でもあります。

当初予定していたコラボレーション相手とは今回は実現しなかったものの、曲を仕上げるという意味で、僕たちは原点に立ち戻り、素晴らしいメンバーたちと最終的に曲を仕上げることができました。また最終的には素晴らしいコラボレーターが参加することとなり、楽曲のエンディングを飾ってくれました。

次の投稿では、収録曲それぞれの制作エピソードを紹介します。

次回に続く。

過去記事はこちら

「self」プロデューサーズライナーノーツ VOL.1 2013年から続く、世界への挑戦

「self」プロデューサーズライナーノーツ VOL.2 弱さを受け入れて、自分の言葉を手に入れるまで

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